王子とおおがらにゃんこ
王子とおおがらにゃんこ(4)



 多分、龍輝があの時王子のことが好みなんて言わなければ王子は龍輝と今も一緒に飲んでいるだろう。
 言わなかったら良かったのだ。言わなかったら。
 そうすれば、王子に拒絶の言葉なんてぶつけられないでいられたのに。

「龍輝、なんか最近あんまりここに来ないようにしてるよね?」

 隣に座った姫は静かに口を開いた。
 ずばり言い当てられてしまい、龍輝は言葉を選ぶ為しばし無言になった。

 前なら毎日のように通っていたこのバーに来るのも1週間に一回くらいになってしまった。ただ来るのが怖い。王子を見るのが怖かった。王子にまた、本気で「もーやだ」なんて言われるのが怖かった。
 けれど、王子の姿が一目でいいから見ておきたかった。
 矛盾している。
 それを言葉にするのは難しい。

「……ごめん」

 出てきたのは謝罪だけだった。
 姫がふぅっとため息を吐いた。姫は姫でイライラとした様子だった。
「逃げる奴ってサイアク」
 ぼそっと聞こえた言葉はまるで姫のものではないように、鋭かった。

 しかし、イライラは姫だけのものではなかったらしい。
 突然、店の中央から男の大声が聞こえた。

「てめぇ! 前からいけすかねー野郎だと思ってたけど、てめーはマジで最悪だ!」

 今にも暴れだしそうな男を周囲が必死で押さえつけていた。そしてその向こうに。
「はぁ? 何のことか全然分かんないんだけど」
 王子がグラスを片手にもちながら、冷ややかな表情で立っていた。
「毎日毎日違う男と寝やがって! 中にはお前に本気だった奴だっていただろうが!」
 周りに抑えられている方の男の怒号が店内に響く。龍輝は思わず立ち上がった。
 見渡す先には、人だかりの中で眩しいほどに凶悪な笑みを浮かべる王子がいる。
「うるさいな〜。 そんなの人の勝手だろ?」
「お前みたいな奴にタケルをとられたと思うと!」
「あぁ、タケル。 あの尻の軽い子?」
 王子はいつかの気の良い態度が嘘だったかのように刺々しい物言いをしていた。龍輝の鼓動が早まる。王子、どうしたの?と問いかけたくても、今の龍輝をきっと王子は聞き入れない。
「……お前、よくも」
「安心してよ。 俺、あの子喰ってねぇから。 尻の軽い子って好きじゃないんだよね」
「このやろう!」
 男の勢いが増した。
 王子は手に持っていたグラスをテーブルに置いた。王子の赤く充血した目が光って、龍輝はハッとした。不意に王子の顔が不安げに見えたのだ。
 何故誰も気づかないのだろう?王子があんなにつらそうなのに。
 突然、王子の口が暴走した。
「うるさい!」
 店内がしんと静まり、王子の声がこだまする。
「お前らだって十分勝手じゃないか! 俺のこと王子王子って! だから王子のふりして遊んでやってるだけじゃないか! 俺がいつ王子って呼んでくれって言ったんだよ!」
 なんか。
 龍輝は泣きそうになった。
 王子はやけっぱちになっている。
 不安を抱えて、うまくことが運ばなくて、悔しくて、暴発している。
「お前らのせいで俺はプライドや見栄でかためられたつまんねー奴になったんだ!」
 王子はありったけの力で怒鳴った。
 肩で息をして、呼吸を整えようとするが、そう簡単には整わない。
「お、俺だって、本当は……」
 その瞬間、男を抑えていた周りの人間の手の力が揺るんだ隙に、男が一歩飛び出した。
「知るか、そんなことおお!」
「王子、危ない!」
 姫の声が響く。
 その時、王子の前に現れた巨体が男の繰り出された拳を受け止め、横に流した。
バランスを崩した男の胸元と腰が掴まれると、次の瞬間、男の体はきれいに宙に浮かびあがった。一瞬の時が流れて、男がバタァァンと床に落ちる。男は今背負い投げを食らったのだ。
 王子が呆然と立ち尽くしていた。
 その品の良い唇が繰り出した名前。
「…………たつき……」
 龍輝は王子を振り返った。
「王子、大丈夫?」
「なんでだよ?」
 王子の言葉には感謝の念は無い。
「ごめん」
 喧嘩中だ。龍輝が王子を助けるなんて分不相応。
 でも助けたかった。だって王子のあんなにきれいな顔が殴られるなんて龍輝には許せなかった。
「お前が俺を助けるとは思わなかった……」
「うん、俺も」
 王子は龍輝の足元を見つめた。倒れこんだ男が気絶して、寝転んでいる。
 一方、龍輝も何を言えばいいかなんて分からなかった。
 気分は、泣けそうな一歩手前だ。
 龍輝のとった行動は龍輝の本意では無い。
 だってもう王子とは。
「王子は自分が一番かっこよくありたいって」
 そう言っていた。
 図らずも、王子よりも目立ってしまった。今の様子を見ていた誰かにとっては王子よりも龍輝の方がかっこよく映ったかもしれない。龍輝は王子を被害者という名の脇役にしてしまった。

 −−自分を助けた男なんて抱きたくないよね。

 どこかでまだうまくいくかもしれないなんていう期待が残っていたらしい。けれどそれも最後の雫まで干からびた。
 だって王子は自分が一番なのだ。一番目立ちたくて、一番かっこよくなくてはいけない。

「なんでお前が泣きそうな顔してんだよ」
 王子は龍輝の頬に触れた。
 左目の下のほくろと傷をさわさわと撫でた。
 褒美をもらったような気持ちだった。
 王子が最後にこうやって触れてくれただけで、幸せが一旦は満ち足りる。

「ありがと、王子。 さよなら」

 そのまま、幸せな気分のまま呟いた。
「え?」
 龍輝は王子の腕を掴み、静かにそれを降ろすと店を出て行った。






 外を歩くうちに、冷たい夜風が幸せな気分を無慈悲に奪っていく。
 たった今、決めたのだ。あの店に行くのはもうやめようと。
 王子とどうにかなりたいなんていうのはいつもの自分の妄想だった。
 あの傲慢で優しい腕に抱かれてみたかった。誰よりも強く、お前は俺のものだと抱きしめて欲しかった。

「夢は見れただけでも幸せだよな」

 自分を慰める言葉がすんなり出てきた。情けない最後だと思いつつも、自分にはお似合いだと嘲る。
 そんな折、手に持つ携帯がブルブルと震えた。
 姫からメールだ。
『龍輝、今どこにいる? 戻っておいでよ』
 カチカチとボタンを押す。
『もうそこには行かない』
 すさまじい勢いで姫からの返事が返ってきた。
『なんで!?』 
 返事を確認してから、カチカチと手を動かした。
『ごめん、俺本当に本気で王子が好きだったみたい』
 だから、この店とはお別れ。

 王子を忘れたい。
 あの傍若無人の王者を遠ざけたい。
 あの人は自分にはすごすぎたんだ。
 とてもじゃない、無理だった。
 俺は他を探すべきだ。

 まるで自己暗示だった。





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小心者の悪いところは「これもきっと良い想い出」と諦めてしまうところ。
written by Chiri(6/27/2009)