王子とおおがらにゃんこ
王子とおおがらにゃんこ(1)



 24年前、この世に生まれついてから末広龍輝(すえひろたつき)はずっと自分の容姿に頓着など無かった。ただ周りにいる男に関しては、どうもかっこいい方にかっこいい方にと流れていった。幼い頃からの自覚はあったのだ。自分は男を好きな部類だろう。そしてそれを言葉にしてはいけないということもなんとなく分かっていた。それ故に、龍輝にとって男たちは愛でる為のアイドルだ。スポーツのできる男見たさにあらゆる部活にも入ったし、空手、柔道、合気道といったものも学んだ。高校に入ってからはインテリ系の男子に魅了され、勉強も殊の外頑張った。
 そんな龍輝だったが、今まで彼氏がいたことがあったことは無い。
 奥手だということも一つの理由だろうが、多分真因は別にある。

 龍輝が190を超える大柄であり、スポーツもできれば勉強もできる、いわゆるかっこいい部類の男だからだ。
 そして龍輝はゲイで言うと、いわゆるネコ側だったということだ。



***



 会社に入り社会人になってからも、龍輝の男観察タイムは貴重なリラックスタイムだ。決算を終えて、新しく年度が始まった4月。龍輝は、最近通いだしたバーへと向かった。あらゆるセクシャルマイノリティーが集うバーだが、他のゲイバーと比べると華やかで和気藹々としている気がする。
 龍輝には一緒に飲む人間もいなければ、ゲイの友達もいない。だからといって、バーテンダーと気軽にしゃべるような人間でもないので、奥にある2人がけのテーブル席に一人で座る。観葉植物で少し隠れたこの席が龍輝の今のお気に入りだ。ここから良い男を観察するのが彼の日課となりつつある。
 会社帰りに寄った龍輝だが、今日みたいな平日に来たのにはわけがある。きわめて「ミーハー」な理由だ。
 この時間、いつもこの店に顔を出す人間がいる。
 龍輝が一番好きな顔。違う、龍輝だけじゃない。大抵の男も女も見ほれてしまうようないわゆる王子顔。皇かな肌に艶やかな髪質。流れるような曲線を二対組み合わせたような瞳の色は薄いスモークブラウンだ。外国生まれかと思うような高い鼻と薄い唇。背は龍輝よりは低いが、それでも185はあるだろう。この店でアンケートをとったら確実に抱かれたい男1位だろう。実際、龍輝も抱かれてみたかった。もちろん妄想の域を出ない話だが。
 カランと人の出入りを告げる音が鳴る。
「あ、王子だ」
 そう呟いたのは龍輝じゃなく、別の客だ。「王子」が足を踏み入れるなり、客の目はそちらに向く。周りを気にせず見てられるものだから、いつもは無関心を装っている龍輝までもがついじぃっと見てしまう。
 王子は王子たる外見の為、「王子」と呼ばれている。どこかロイヤルな風格を感じられる貴族的な顔立ちだ。龍輝がこのバーに通いだした頃には王子は既に王子だった。王子以外にはありえなかった。
 王子の連れはいつも同じ男だ。こちらの方は「姫」と呼ばれているかわいらしい男。目がくりくりとしていて猫っ毛の髪質。そして人懐こい性格に加えて、少し子悪魔な面もあるとやら。
 つきあってはいないらしいがどうも昔からの知り合いらしい。

 葉脈の間に大きな隙間を持つモンステラの葉から龍輝は彼らを盗み見た。その瞬間、姫の方がこちらをフッと振り向いた。
 あ。
 やばい、と思って目をそらすが姫は目をきょとんとさせてからこちらを指差して王子に何か言っている。龍輝があわてて立ち上がり店を出て行こうとした瞬間、手を引っ張られた。
「あ、待ってよ」
 瞬間移動したかというくらいの速さで、捕らえられていた。取られた腕の先を見ると、姫が目をキラキラさせて龍輝を見ている。
「何ですか?」
「前からいつも僕のこと見てたでしょ? 僕のこと、好きなの? つきあってあげてもいいよ」
 あまりにも奔放な言い草にくらっと来た。
「いや、見てないよ……」
「えー嘘! いつも見てたよ」
 見てたのは王子の方……という言葉を飲み込んで、龍輝は何を次に言うか困った。
 姫は気にせず腕をより一層絡めてくる。
「せっかく僕のお眼鏡に叶ったんだからいいじゃない。 つきあおーよ」
「……ごめん」
「ええ!」
 姫は信じられないという表情で龍輝を見た。今まで断られたことなどないのだろう。まるで分析するかのように龍輝の顔をまじまじとのぞいてくる。
 不意に姫の手が伸びてきた。それは龍輝の頬を一撫でし、親指で左目の下をこすった。
 龍樹の左目下目蓋の辺りにはほくろがある。所謂泣きボクロという奴だが、空手をやっていた時にはよく標的にされた。その為、ほくろの上にくっきりとした傷が一線残っている。
「あーぁ、ここ舐めてみたいと思ってたのに」
 驚くようなことを言い残し、姫はそこを去っていった。
 意外にあっさりと帰ってくれてふぅと胸を撫で下ろした所で、今度は別の男たち3人に囲まれた。自分の席に戻る合間も与えてもらえない。
「ねぇ、あんたすごいじゃない!」
 そう言うのはニューハーフのガタイの良い男だ。唇にべったりと口紅を塗り重ねてアイシャドーもなんと濃いこと。
「ね、あのお姫様に声かけられるなんて!」
 隣にいた人も男の格好をしているが、どうやらそっち系らしい。
「あの子よっぽど面が良くないと自分からは声かけないからな」
 そう言う今度の男はちゃんと性別・男性のようだ。
「っていうか私、気になってたのよ、あんたのこと。 大層な男前なのに誰にも声かける様子もないし」
「何気に注目の的だったわよね〜」
 ねーっとニューハーフの二人が声をそろえて叫ぶ。
 龍輝は心の中でえーっと返す。
 龍輝は目立ちたくない人間なのだ。自分のやたらにでかい身長もやたらに整っているせいでストイックに見える面白みの無い顔もあまり好きではない。目だっててんで大きくないし、どちらかというと切れ長で冷たい印象だ。鼻だってもっと小さくて丸いのでいいのにこんなに高く伸びて、眉間から直に繋がっている。世の中の女子たちは自分の顔をずいぶんと気に入ってくれているのは分かるが、適材適所というものだ。龍輝にとってこんなもの欲しくも無いのに、与えられるというのは嫌がらせに近いことだ。
 龍輝は自分に集まりだす視線にびくびくと体を小さくした。
「あの、俺、目立ちたくないんで」
 龍輝はこそこそと自分の席に戻ろうと、行く手を阻む人たちを分け入って進もうとした。もうさっさとこの店を出てしまおうと心の中で思う。
 何せ、遠くで王子がこちらをちらっと見ていたのだ。こんな風に王子とお近づきにはなりたくない。
 しかし、今度は肩をたたかれた。今度はずいぶん強く、だ。
 そしてそれと共に殺気を感じ、龍輝はすぐにその手を振り払った。
「おいおい、なんだい兄ちゃん」
 バッと振り向いた先には見覚えの無い男が立っていた。両手を広げてまるで何もしないというようなポーズ。
「あなたこそ、いきなり何ですか?」
 龍輝は空手、柔道、合気道といった武術をある程度は学んできた。それ故に殺気には敏感だ。
「兄ちゃん、君最近ここの辺荒らしすぎやないか?」
「は?」
 荒らすも何も龍輝はこのバーの隅っこで観葉植物に隠れて王子を見ていただけだ。誰にも迷惑をかけてもいないし、誰とも話さえしていない。
「俺の可愛い子が何人もあんたをいいゆーてな、俺のこと捨ててん」
「……。 心あたりないんですけど」
「あんたそれ、ほんまに言ってるんか? あんなにいつも視線集めておいて、身に覚えないわけがないやろ!」
「……」
 −−無い。
 そもそも王子がいない時は、龍輝は静かに酒を嗜んでいるだけだ。人の出入りを知らせる為のベルが鳴る度、入ってきた人間を確認することしかしていない。周りの人間になど視線さえも送っていないはずだ。
「……やっぱり心あたり無いんだけど」
「この野郎! ちょっとくらい八つ当たりさせてーや!」
 その言葉を言い放った後に男の殺気が倍増した。来ると思った時には、男の腕がすぐそばまで伸びてきた。
 龍輝はその腕を俊敏に避けると脇に入り、男の首元を腕ごとねじりあげた。男がねじった方向に体を崩すと、そのまま床に落ちていく男めがけて力を込めて拳を落とした。
「ひゃぁぁああ!」
 男の眼のわずか1cm前で拳が止まる。寸止めを食らった男は目を最大に見開いた。
「悪いけど、俺、空手黒帯だから」
 その瞬間、男は一気に後ずさった。ずささささ、とがさつな音が鳴る。
 空手と言ったが、もっとも今のは空手というほどものでもない。簡単な護身空手だ。
 しかし次の瞬間、お〜っと歓声があがった。
 存外、観客を集めていたらしい。龍輝は驚いて、周りを見渡すと店内の客が拍手をしていた。
 欲しくない!そんなの欲しくない!
 どうも、武術をやっている間は我を忘れてしまう。というより、「我」が研ぎ澄まされてしまう。戦いが終わるまでの時の流れを忘れてしまう傾向にあるのだ。
 うわ、王子もいるのに!
 怖くて王子がいる方向が見られなかった。
 龍輝はただひっそりと外から王子を見ていられれば良かったのだ。それだけだったのに。

「おい、アンタ!」
 離れた場所から聞きなれた声がする。聞きなれた、というよりは「盗み」聞き慣れた声だ。
 がやがやと騒がしいフロアに大好きな声。
「え」
 ワンテンポ遅く返事すると、王子がもう既に龍樹の傍まで来ていた。
「呼んでるんだけど」
「え? へあ!? おおお王子?」
「なんだ、俺のこと知ってんの?」
 王子は誇らしげに笑うと、龍樹の手を取った。手の汗が噴出す。王子に汗がついちゃう。そんなことを頭で反芻したが、王子はワクワクとした顔で龍輝に笑っただけだ。
「アンタ、面白そう。 一緒に飲もうぜ」
「へぁ?」
 寵愛を受けてしまった!!
 なんてことだ。王子に声をかけてもらえるなんて。
 驚きすぎて白目を剥いてしまいそうだ。
 王子の席にはさっき誘いを振ったばかりの姫が座っていた。頬杖をついて、龍樹のほうを半目で睨んでいる。
「さっき、僕が誘ったときは来なかったくせに」
「お前は甘いんだよ。 有無を言わさず連れてこればいいんだって」
 王子がなんでもないことのように笑う。
 王子は顔が王子なだけでなく、性格も王子様のようだ。俺様で、わがままでなのに憎めない。愛すべき王子だ。
「ん?何してるの、お前……」
「いや、拝んでおこうかと」
 手を合わせる龍輝を見て、ドッと王子が笑った。
「意味分からねー奴!」
 笑った顔も意地悪そうで愛くるしい。一層拝みたくなったが、意味が分からないそうなので手をそっと戻した。



 青天の霹靂だった。
 ずっと遠くで見ていた王子を手の触れられる距離で見られるなんて。
 王子と姫の組み合わせで言うと、自分なんて従者、下僕、それとも馬?
 もう何でもよかった。
 何でも良いから今この瞬間の幸せを龍輝は唇の中でそっとかみ締めたのだ。





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親父受けもいればガチムチ受けもいるこの業界で龍輝程度なんてたいしたことないじゃん。。。とかいうのは心にしまってくださいませ。
written by Chiri(6/21/2009)