Omimiの恋人
Omimiの恋人



 例えば眼鏡とかもそうかもしれない。人が常に身につけているものはまるでその人自身のパーツであるような錯覚をもたらすことがある。眼鏡をかけている人にとって眼鏡はその人の一部。時計だって、帽子だっていつだってつけていればその人のパーツそのもの、しかも取り外しができる便利なパーツだ。
 その、彼本体ではないのに彼のパーツになりうるもの。
 それが美月にとっての――ヘッドホンだろう。
 鈴木はため息をつきながら、頬杖をついた。
 鈴木は今しがた彼の恋人である美月と一つ大きめの喧嘩をした。恋人といっても男同士だ。しかし、美月との恋は長い付き合いの中、やっと成就した恋だった。こんな風に喧嘩がしたいわけでもない。しかも、原因はとても些細なものだった。些細な無機物、――このヘッドホンである。
 鈴木が期末テストで赤座布団をとったのは一カ月前のこと。それからの鈴木の日々は名ばかりの進学校が繰り出す補習の毎日だ。その頃から美月は新しく買ったヘッドホンに夢中で、四六時中その重めなヘッドバンドを持ったヘッドなホンを頭の上にのけていた。
 誰かが美月のそのことを言及した時だ。

「これ? お耳の恋人みたいな感じかな? ほら、お口の恋人ってよく言うじゃん」

 可愛い笑顔でそう答えるのが聞こえた。鈴木は自分でも驚くほど落胆した。美月とつきあいだして一ヶ月。美月とはキスはしたものの、それ以上は踏み込めていなかった。そんな恋人であって、恋人未満な状態で、まさかのヘッドホンに先を越されるとは。
 鈴木はそのヘッドホンに嫉妬した。ああ、嫉妬したのだ。ただのモノに。なんて滑稽なのだろう。そう自覚しながらも。

「そんなヘッドホン、捨てちまえ」

 と粗雑に言い放った言葉は美月を甚く憤慨させた。今や彼の部屋から主である美月はいなくなり、残されたのは美月のパーツ――ヘッドホンと鈴木だけだった。
 それは少し居心地の悪い空間だった。本当の恋人とお耳の恋人。無機物であるヘッドホンを前に何故かコンプレックスさえ抱いてしまう。そんな風に妄想する鈴木のことを美月はいつも愛をこめて「馬鹿」と呼んでくれていたものだ。もしくは愛情とかではなく、ただ呆れていただけだったのかもしれない。どちらにしろ、美月の考えることは鈴木にはよく分からなかった。ただでさえ、鈴木の告白を受け入れてくれた時も美月の考えていることは何も見えてこず、ただ「……いいよ」と小さく言ってくれた答えに鈴木は縋りつくしかなかった。
 ふと鈴木は思った。
 もしかしたらこのヘッドホン。ヘッドホンというからには、美月の考えることが分かる奴なのかも知れない。鈴木は自分の馬鹿な発想に冷笑しながらも、ヘッドホンを引っ被る。
 ヘッドホンは嫌がる。当たり前だ、本来の所持者は美月なのだから。

『や、やめ! 俺は美月のものなんだ! なんでお前なんかに……やめ……あっ』

 妙な台詞を考えながら無理やりヘッドホンを自分の頭に乗せる。ヘッド・ホン夫(仮)のキャラクターボイスは美月の声で代用だ。
 ヘッドホンは心地よい包容力を見せてくれて、すっぽりと耳を包み込んでくれる。圧力をかけすぎず、一番気持ちよい優しさで。なんだか美月でアテレコしてしまったせいか、不思議と楽しくなってきてしまった。

「ふん、頭では嫌だといいながらも、体は俺の頭にフィットしてやがるぜ、淫乱ヘッドホン野郎が」
『お、お前……よくも……許さない』

 ヘッドホンはそう言ったきり何も語らなくなってしまった。どうやらヘッドホンのプライドをひどく傷つけてしまったらしい。
 そうかそうか。それならば仕方あるまい。鈴木も悪かった。態度を改めようじゃないかと思う。
 ならこちらも丸腰だということを見せ付けてやれば、あるいは信用してくれるかもしれない。
 鈴木は真っ裸になって正座する。そうしてヘッドホンを頭に鎮座。

「さあ、これでどうだ!」
「――何やってるの」

 冷水を浴びせられたかのように我に返る。
 ふと目の前には美月の姿が。いつからいたのか知らないが戻ってきてくれたようだ。美月の呆れた顔とクールな眼差し。鈴木は恥ずかしさで身悶えしながら、美月にすがりつくような眼差しを送る。
 そんなんだからお前はバカでアホで補習を受ける羽目になるのだ、とヘッドホンが不意に呟いた。なんということだ、ヘッドホンを通じて美月の気持ちが聞こえてくるではないか。
 鈴木は悟ったように口を開いた。何をしていると聞かれれば正直に答えるしかあるまい。

「なんていうかな、お前の一部を頭に乗せているんだ」
「とても気持ち悪いです」

 美月は正直だ。

「美月は僕の物にならないから、せめてヘッドホンだけでもっていうピュアな気持ちからです」
「裸になる意味は果たしてあったのか」
 確かに裸になる意味はなかった。鈴木は華麗に話をそらした。
「いや、しかしこのヘッドホン、なかなか気持ちいい。 優しく包み込んでくれる感じだ」
「変態」
「いいんだ、俺は今なかなか幸せだから」

 辛辣な言葉を浴びせられて鈴木は途端に全てがどうでもよくなった。
 鈴木は本物の恋人がつれないので、それこそお耳の恋人と仲良くすることにした。浮気だ、浮気。半ば自棄になっていたとも言う。

「いや〜ヘッドホンとの会話は楽しいな」

 鈴木は自虐的に笑った。

「嫌がりながらも俺の頭を包み込むヘッドホン、可愛い奴だよ」

 美月のレスポンスが無いので、鈴木は一人で続ける。

「なんか素直じゃないお前みたいだな」

 本物の恋人に対する厭味なんかも添えてしまったりして。

「そう思うとこのヘッドホンも可愛くなってきたよ」

 鈴木は美月に抑えた笑みを向けた。いじけ半分、理解半分。まぁ、ヘッドホンにやきもちを妬くなんて馬鹿がするということだ。
 突然美月が重くなっていた口を開く。

「もう悪かったよ、ヘッドホンにやきもち妬く気持ち分かったから」

 美月は悔しそうに鈴木を見た。鈴木は目をぱちくりとして、美月の表情を食い入る。美月はたった今、ヘッドホンにやきもちを妬いていたのだろうか。

「もともとはお前の補習を待ってる時間がさ、やけに寂しくて。 だから買ったんだぞ」

 鈴木はハッとした。

「そっか、ごめん」

 美月は首を振った。そして不満があるように上目遣いでお願いしてくる。

「だからほら、もうそのヘッドホン外して」
「え、やだ」

 鈴木は即答していた。

「は? なんで」

 美月は目を見開く。不満げな表情が爆発しそうに強張る。鈴木は慌てて弁解した。

「いや、なんかお前がいつもつけているものを俺もつけると、なんていうか一体感を感じられるというか。 ……なんか癖になるな、これ」
「変態」

 また罵る言葉を繋いでいく美月。なんだこれ、ふりだしに戻るってか?

「だって、お前の一部が俺の一部に……って思うと気持ち良いよ。 ねぇ、今日これ貸してよ」

 まさか今夜のおかずにしようなんてバレていないよな。鈴木はチラッと片目で美月を見やった。美月の怒りのボルテージがみるみるあがっていくのが目に見えて分かった。
 鈴木は(あ、やばいぞ、これは)と思い避難体制に入った。どうやら爆発スイッチを無意識に押してしまったらしい。
 鈴木は慌てて、近くに落ちていた服をかき集めはじめた。
 そして。

「ごめん、長居して。 美月、また明日話そうな」

 そそくさと自分の家に逃げ帰ろうとする。……もちろん、ヘッドホンは頭に乗せたまま。
 途端に美月の声が部屋に響く。鈴木は(うわ、来た)と目を瞑った。

「待ってよ。 まだ帰らないでよ」

 案の定、美月の声は震えていた。怒りで震えているって奴だろうか。鈴木はおそるおそる振り向くと、美月が鈴木の胸に飛び込んだ。鈴木はびっくりして、背筋がピンと張った。

「――俺たちが一体感を感じられる方法なんて、他にもあるだろう……」

 そう言って美月はキュッと腕に触れる。次の瞬間、鈴木の顔がカカカッと発火していくのが分かった。
 幸い、鈴木の体はそれを実行するにはなんていうか好都合な裸ぶりで。むしろ、邪魔なのは頭に乗っかるただ一つの無機質、奴の名前はヘッドホン。

「美月、好きだあああああ!」

 鈴木はヘッドホンをルパンにとっての下着のように軽快に外すと、ベッドに美月と飛び込んだ。美月は安心したように鈴木の腕の中でホッと息を吐いた。
 さようなら、お耳の恋人。所詮お前は真の恋人ではないわけというわけだ。
 それでは御免。あとは誰にも言えない秘密の時間ということで。





おわり



(受けの)裸にヘッドホンというのも捨てがたかった。
written by Chiri(10/13/2012)