ネイキッド
ネイキッド その後



 人には誰にしろ欠点がある、と黒河 隼人(くろかわ はやと)は常日頃から思っていた。

 いや、それを欠点だと言い張るのは傲慢かもしれない。欠点ではなくそれはその人の特性なのかもしれない。
 例えば悠貴のそれは、人との絆を貸し借りでしか考えられなかった事だと隼人は思っていた。
 渡部は簡単に人を頼る所だし、佐東に関しては責任転嫁する性格そのものだろう。
 けれど、実を言うと隼人だってなかなか悪い性格をしている。

 隼人はプライドの塊の上、天邪鬼だ。

 だから、隼人が悠貴の手帳を見た時、隼人は自分のプライドをひどくズタズタにされた気持ちになったのだ。
 二年前の隼人は悠貴に対して、どこか勇み足で「絶対好きにさせてみせる」と常に肩に力を入れていた。何かをしていれば、一つくらい彼の琴線に触れるだろうと思って、好きそうなものはリサーチしたし、一緒に飯を食べに行ったり、映画も行ったし、その中で恥ずかしげもなく、馬鹿みたいにアプローチをしてきた。
 それらの無法な隼人の気持ちが、彼の手帳の中で綺麗に区画整理されていたのだ。
 それがとても……とーっても、恥ずかしかった。

 鈴木に落し物を拾ってもらう。(−1)
 高橋に教科書を貸す。(+1)
 黒河に漫画を貸りる。(−1)
 黒河に消しゴムを拾ってもらう。(累積−2)
 黒河にパンを代わりに購入してもらう。(累積−3)
 黒河に委員会の仕事を手伝ってもらう。(累積−4)
 黒河にCDを借りる。(累積−5)

 隼人のこの尽くしぶりを冷静に書かれていた時の衝撃。あれは血の気が引いたものだ。
 だから、悠貴とは距離を置いた。
 しばらくすれば自分の頭が冷えるだろう、そう思っていた。

 けれど、三年になり同じクラスになってしまってから、流石に自分に天邪鬼でいるのも難しかった。いつでも視線の先には悠貴がいたし、悠貴の前では興味の無いそぶりを見せても、自分の行動が伴わない。
 隼人は図体こそ大きくなったが、ずっと悠貴を好きなままの二年前の自分のままだった。
 ちなみに隼人の長所は我慢しないところだ。
 結局、その長所が転じてその天邪鬼もプライドも最後には自分からベリベリと剥がしたのだ。

「もう観念するから」

 そう言った瞬間、勝手に暴走して悠貴にキスをした。

「ずっと悠貴が好きだったんだ」

 本音を暴露するが、悠貴はきょとんとしていた。隼人の天邪鬼は完全に上っ面だけのものに違いなかったが、それでも悠貴のことは騙せていたらしい。
 それから、悠貴の生い立ちを聞かされた。彼が手帳に書く意味。彼の、人とは違う考え方の源。
 彼がずっと戦っていた見えないモンスターの正体。

 全てを理解すると、彼が一層愛しくなった。
 何度も抱きしめると、彼は腕の中でやっと深い息を吐いたのだ。この男を守る為なら、自分は何をしたっていいと思った。
 彼を好きで好きで仕方ないただの高校生の部分と、これから大人になるであろう部分が共存していて、彼に与えて欲しい思いと彼に与えてあげたい思いがごちゃ混ぜになっていた。

「今日さ、お前んち行ってもいい?」

 隼人が下心剥き出しでそう聞くと、悠貴は少しだけはにかんで笑った。

「うん」

 さっきまでの不安そうな顔を見て欲情しただなんて言えず、彼の顔を撫で続けた。悠貴はまるで人に甘える事を覚えたての猫みたいだ。ゴロゴロと喉を鳴らして、隼人の手を自分の頬に撫で付けていた。
 全く人を煽るのはやめてもらいたいものだ。


 放課後のチャイムが鳴ると、隼人は散歩を待つ犬のように悠貴の机に彼を迎えに行った。彼は嬉しそうに隼人を見ると、かばんに荷物をまとめて、天気の良い外の世界に隼人と一緒に繰り出した。

「俺たち、両想いだな」

 嬉しさを抑えきれず道端でそんな事を言うと、彼は「え」と予想外な顔をした。

「へ?」

 その予想外な顔が予想外で隼人も素っ頓狂な声を出した。
 一寸、お互いの顔を眺めあい、何か嫌な予感がした隼人は用心深く彼を見つめた。

「……両想いってさ、それって、つきあうってことだよな」

 悠貴が口をパカンと開けた。

「え、やだ……」

 今度は隼人がパカンと開く番だ。

「なんで」

 問いただそうとすると、悠貴は歩くスピードを早くした。すぐそこに見えていた悠貴の家の玄関に駆け込むと、扉の隙間から隼人を覗いた。

「……だって恥ずかしいし」

 くらりとして、隼人は力のまま扉をバンとあけた。トントンと階段を上がる悠貴を追いかける。二階にあがってすぐのところにある悠貴の部屋の扉を開けると、悠貴が不安そうな顔で隼人を眺めていた。

 ズカズカと歩み寄ると、悠貴がベッドの上で壁側に遠ざかる。隼人は更にベッドの上に乗り上げると、ジリジリと悠貴との距離を詰めていく。
 もう少しで触れられる、そんな距離で。

 悠貴は隼人との間にぬいぐるみを挟んだ。

(ったく、可愛い事をしてくれる)

 内心ため息を吐きながら、隼人はぬいぐるみ相手に小芝居を打った。

「こらこら、君は邪魔してくれるな。 俺は悠貴に用があるんだ」

 そう言って、ぬいぐるみを優しく床に置いた。悠貴は真っ赤なゆでだこみたいな顔だった。

「お、俺……黒河が好き……けど、父さんが……母さんが……」

 グルグルとまわる彼の目と頭の中。ふと気付いた。
 悠貴の頭の中には今、とてつもない情報量が逡巡しているのではないだろうか。男と男がつきあうリスクまで彼はきっと考えている。
 けれど、隼人はただ本能のままに突っ走った。

「ねぇ、今はつきあうって言わなくてもいいから、キスさせて」
「え……」
「そんで触らせて」

 手を伸ばすと、彼はびくりと目を閉じた。
 大人ぶりっこする気持ちより、本能のままの高校生の方が先走ってしまっている。まぁ、それも仕方ない。実際、隼人は高校生だ。
 彼の唇に手で触れてみる。そこは柔らかい。まるで誘うような果実の色と弾力を持ったその唇に隼人は口をつけた。目を閉じる悠貴の目に力が入る。その形を外から、そして舌を入れて内から確かめる。舌を絡ませると、悠貴の眉が困ったようにへにょりと曲がった。悠貴の全てが可愛らしいと思った。
 手持ち無沙汰な手を服の中に入れる。彼の突起に触れると、彼は「ん」と目を強く閉じた。何、この子。可愛い。
 彼のベルトにまで手をかけると、彼が力の抜けきった掌をかぶせてきた。それを優しくどけると、彼は一層恥ずかしげに泣いた。

 と、その瞬間。

「……おい、悠貴。 入るぞ」
「へ」

 カチャッと無情な音がして、誰かが入ってきた。
 一瞬で分かった。
 銀フレームの眼鏡をしているが、目元が優しい。悠貴の髪は色が少し薄いが、この男性は黒髪で、真っ直ぐのようだ。それでも鼻から口にかけての骨格が悠貴とぴったり一致している。この人は悠貴の父親だ。

「父さん! 居たの!」

 悠貴に重なったままの隼人。そんな二人を見て、父は固まった。

「……あ、ああ。 今日はお前と話をしようと思って早く帰ってきていて」

 サー……。
 幻聴かもしれないが、血の気が引く音が悠貴から聞こえてくる。隼人は慌てて悠貴から体を退けると、後ろで息を潜めた。
 悠貴はかわいそうに、身なりを整えるどころか、指一本も動かせないようだ。父親から視線を外さず、呆然としている。

「……お前、男とつきあっているのか」

 悠貴の父がぼそりと呟いた。
 隼人は俯いた。そして、悠貴に小声で伝える。

「大丈夫、ごまかせ。 俺に襲われたって言え」

 もうプライドなんてどこかに行っていた。ただ、ここにいる悠貴を守れれば良いと隼人は思った。
 第一、本当につきあっていない。それは事実だ。
 思ってみれば、彼に父親に対して真実を打ち明けるのは難しいだろう。今まで、父子家庭で育て上げられたのだ。隼人が思っているよりもずっと複雑で感情があるに違いない。なのに、隼人はそれをうやむやにして、先に進もうとした。自業自得だ。
 しかし、悠貴はしばらく押し黙ってから、垂れていた頭をあげた。

「つきあっているって言うか、俺、黒河が好きなんだ……男とかじゃなくて」

(馬鹿。 正直に言う奴がいるか!)

 驚いて、悠貴を見やる。悠貴は誇り高いことのように首筋をピンと伸ばし、真っ直ぐに彼の父を見つめていた。とはいっても、視線は覚束なく、縋るようだったのも隼人には分かった。

「そうか」

 悠貴は震えてた。彼は、まだ生まれたての小鹿のようなものなのに、自分が彼に無理やり立たせていると思うと情けなく感じた。自分は彼を守れてなんかいない。彼自身が彼を守っている。

 悠貴の父親は動じなかった。静かに、悠貴を見たまま、口を開いた。

「昔から言っているだろ。 お前が健康なら俺はそれでいいんだ。 お前が生まれた時からずっとそう思っていた。 俺より先に死なないならそれ以外なら何でも許せる」

 そう悠貴の父親が言った瞬間、悠貴は目をグリンと開けた。新しい発見でもしたかのように、何度も瞼を閉じては現実感を確かめている。
 隼人はすかさず後ろで「俺、悠貴を大事にします」と叫んだ。
 悠貴の父は表情をすっと和らげて、言った。

「こいつは、……母親がいないからな。 彼女の分も大事にしてやってくれ」

 そして、「ごゆっくり」と会釈をすると、扉を丁寧に閉じて、出て行った。しばらくして、一階に降りていく音が聞こえた。
 なんて出来た人間だろう。
 日本にどれくらいの父親がいて、同じ境遇に立った時に同じ事をできるだろうか。
 確かな尊敬の心が根強く生まれて、隼人はその気持ちを悠貴に話したくなり、振り向いたその瞬間。
 悠貴はただ、呆然としたまま、さっきと同じ様子で固まっていた。隼人は何かがおかしいと、今気付いた。

「悠貴、どうしたの」

 悠貴は震える手をもう片方の手で握った。

「……俺、父さんの昔言っていた言葉の意味が今分かったんだ」
「昔言っていた言葉?」

 隼人は話を理解できていなかったが、何も言わずに続きを促した。
 悠貴は隼人と会話したいのではない。頭の中を整理したいだけなのだろう。

「父さんはそういう意味で言っていたんじゃなかったんだ」

 その瞬間、彼の目から涙が出てきた。
 驚いて彼に触れると、彼は唇を震わせた。

「人生って絆だ……っ」

 彼はそう言うと、腕の内側で涙を拭いた。胸のうちがきゅぅ〜っと締め付ける。今まで彼がしてきた苦悩や我慢を想像して、余計に胸が苦しくなる。
 隼人は悠貴に触れると、頭を優しく撫でた。

「……悠貴、お前はもっと人に甘える事を覚えろ」

 そう言うと、悠貴は手を伸ばして、隼人を呼んだ。隼人にひっつくように、隼人の胸の中に入ってくると、悠貴は初めて子供のように泣いたのだ。ヒーン、ヒーンっと子供が誰かを求めるように止まらない涙を流し続けた。
 その日、悠貴の中で、多分本当の意味で考え方が変わったのだろう。
 しばらくして、彼は進路変更を担任に申し出た。親と話し合い、進学を決めたのだと言った。

 元々頭の良い悠貴だったが、受験勉強に身を入れるようになって、彼はドンドンと成績を伸ばしていった。同じ大学を目指す隼人としては、途中焦りもした。彼への恋心を糧に必死に勉強もした。
 あの日、途中で終わってしまった行為はしばらく禁止にされてしまったのだ。それを条件に彼はにんじんを待つ馬のような隼人を言葉巧みに操る。

 大学生になったら、と彼は言う。

「一緒に住んでさ、毎日死ぬほど…………エ…ッチしような」

 顔を赤くする悠貴。
 誘惑と操縦という技を覚えたらしい。憎らしいが可愛らしさ百倍で、相殺すらされない。

 そんな悠貴と隼人だったが。
 暖かい日差しや風に雪が溶け始める頃には無事桜咲き、春からは同じ大学生になる。





おわり



お父さんが何気にいい男。
written by Chiri(11/13/2011)