鍵っ子と鍵なしっ子
鍵っ子と鍵なしっ子



 ――タケルは『鍵っ子』という奴だ。

 否、厳密に言うと鍵っ子とは呼ばないのかもしれない。タケルには鍵があってもそれを使う家が無い。タケルは施設で育った中学生だ。小学生の頃、タケルの両親がまだ生きていた頃、住んでいた家の鍵。今ではその家も無くなった――その鍵を今も尚、首からぶら下げている。
 タケルが施設に帰るとき、施設には必ず誰か職員がいる。その職員を呼び出して開いてもらう。だから、本音を言えば鍵はもう必要ない。なのに必要の無い鍵をタケルはずっと持っている。意味のないことだ。
 で、俺様はって? 俺様には家がある。屋敷と言ってもいいかもしれない。まあまあ大きい屋敷だ。うちの団地では一番大きい。プールもついている。父親は代々受け継いできた医師の家系で、いつか俺様もその病院を継げと言われている。父は偉い。たくさんの人が父の手術を受けて助かってきたらしい。そんなわけで、そんな父の子供である俺様も偉いというわけだ。
 そんな俺様にももちろん鍵はある。簡単にはコピーがとれない最新式の鍵だ。俺様にふさわしい鍵だ。
 ちなみにタケルとは公園で初めて会った。タケルは居場所がどこにも無いのか、よく公園でぼんやりしている。なんとなく背丈や顔立ちで同い年くらいかと思って、俺様からタケルに声をかけた。タケルは俺様が声をかけても、眠たそうな目で見てくるだけだった。
(変な奴)
 話しかけて後悔したのは最初の時のこと。何も反応が無いから俺様はいかに俺様が素晴らしいかを説明してやった。俺様の父親がなんとかの分野での第一人者で、学会でも超有名人だとか、海外の病院にも招致してもらうことが多いとかそういうの。
 けれど、その話をした瞬間、いつもぼんやりしているタケルが突然立ち上がり、
「僕は医者なんて大嫌いだ」
 と言って、俺様に砂を投げかけたのだ。俺様は憤怒した。俺様の取り巻きだったとしたらありえない態度だ。現に俺様の取り巻きAは俺様の後ろで「あいつ、殺されるぞ」とつぶやいていた。だが、俺様は優しいからな。そこまで怒ったりはしない。恩情をかけてやってもいいと思った。何しろタケルには同情できる点もあるからね。
 どうも聞いた話だとタケルの両親は交通事故で病院に運ばれて死んだらしい。病院に運ばれた時にはまだ息があったとかで、医者が殺したとでも思っているらしい。浅はかな奴。そう簡単に人の命を救うことはできないことを知らないのだ。
 だから、俺様は取り巻きに命令した。タケルがいつも持っている鍵を奪って来いと。タケルの本体は鍵なのだ、と。ゲームでいうモンスターの急所とでもいうのだろうか。あの鍵を奪えば、タケルは泣き叫ぶだろう。そうしてやっと俺様のことを見てくれると思ったのだ。


 翌日取り巻きAが目を輝かせながらタケルの鍵を俺様に持ってきた。褒美を欲しそうにしていたから、一万円札をヒラリと渡す。俺様の小遣いの半分にも満たないから別に俺様はかまわない。取り巻きAは歓喜しながら帰っていった。俺様は鍵を角度を変えながら眺めた。昔ながらの鍵だ。すぐにコピーもとれそうな古い型式の鍵。対となる鍵穴がどこにも無い孤独な鍵。俺様はそれをポケットに入れると高らかに笑った。今までになくいい気分だった。
 その日、公園でタケルを見た。タケルは俺様を見るなり、珍しく話しかけてきた。ずいぶん焦った様子だった。
「A君、見なかった?」
 俺様はイラついた。取り巻きAだと? あのデブは俺様が命令したからタケルの鍵を奪ったのだぞ。何故か手柄を子分に横取りされた気分になり、何も分かっていないタケルに俺様は言い放った。
「お前が探してるのはこれか?」
 ぶらんと鍵を吊り下げる。タケルの目が見開く。
「かえして」
「やだ」
 俺様は笑った。タケルは泣くかと思いきや、ギラリと俺様を睨んだ。俺様はその目つきに苛立つ。
「返せよ」
「嫌だ」
 俺様はタケルの方に一歩近づいた。睨み続けるタケルをまっすぐに睨み返す。俺様はタケルのことが嫌いではない。取り巻きたちよりもよっぽど俺様と対等な目をする。その目が子供ながらに腹立たしく服従させてやりたくなるのだ。
「そのかわり、これやる」
 俺様はポケットから別の鍵を出した。それをタケルの手のひらにのせてやる。
「何これ」
 タケルは怪訝そうな顔だった。
「俺様の家の鍵だ」
 正確には俺様の家の鍵のコピーだ。家から持ってきたのだ。
「いらない」
 まさかの即答だ。失礼な奴だ。断るとか良い度胸だ。よほど頭が悪いらしい。俺様のあの大きな屋敷に入れる鍵だぞ。もっと喜んでも良いと思う。
「うるさい、とにかくお前の鍵はかえさないから」
 俺様がそう言うと、タケルは静かに俺様を睨んでいた。俺様は居心地の悪さを感じながら、そこを立ち去った。俺様のポケットに入ったタケルの家の鍵。それを持っていると妙に胸が鼓動した。そいつの心を盗んだようなそんな気持ちになった。

 その夜、警察が俺様の家に来た。タケルが俺様の鍵を使って俺様の家に忍び込んだのだ。俺様の家にはセキュリティがついている。玄関以外にも付いている。高度な顔認識システムで家主が許した人間以外映し出されるとブザーが鳴るのだ。
 タケルは警察に押さえつけられながら、震えていた。タケルは震える声で『鍵を取り返しに来た』と言った。俺様はしらを切った。警察と俺様の父親が話し合って、まだ子供だから、という話の流れにはなった。タケルの施設の職員が迎えに来るまでタケルはそれ以上何もしゃべらなかった。
 俺様は親父に殴られた。
 俺様はいつもこの大きな屋敷で一人だった。鍵を渡したのは、タケルが俺の家に帰ってきたら楽しいかもしれない、と思ったのだ。一緒にゲームしたり、たわいもないことを話したり。俺は寂しかった。あの大きな屋敷で一人でいるのがとてつもなく寂しかった。
 父親は俺様のことを三度殴った。
「ここは俺様の家だ。 お前のじゃない。 二度と勝手なことすんな」
 三発目が入った時に、母親が止めに入った。俺様が殴られてじゃがいもみたいな顔になっていても父親は特に気にはせず、はき捨てるように言った。
「……偉いのは貴様じゃなくて俺様だ」
 父とはよく似たもの親子とは言われるものだ。俺様が自分のことを『俺様』と呼ぶのはその影響だ。父親は俺様がそうやって真似をすると、あからさまに嫌そうな顔をする。その顔を見て、自分を慰める時が確かにあった。
 その時も終始、父親は心底面倒そうだった。やっと施設の職員がタケルを迎えに来ると、父親は深くため息を付いた。
「ったくこれだから躾けられていない貧乏人は困るんだよ……」
 父親はタケルに直接聞こえるように言う。その瞬間、俺様は親父を殴った。父親の反応はものすごかった。すぐに、親父は俺様をもう一発殴った。医者というものはたちが悪い。急所を全部知ってるのだから。
「糞ガキが」
 大きな屋敷の床に倒れていく俺様をタケルは静かに睨んでいた。タケルは俺様の前に一歩歩み出ると、拙い声で言った。
「鍵、かえして」
 タケルの心は鍵にあると思ったから盗んだのだ。けれど、俺様にはまだこの鍵を持つ資格は無いらしい。
「……いつか」
 口の中で血がにじむ。どうやら口の中が切れているらしい。
「この鍵が使える家を作ってやるよ」
 俺様の言葉にタケルは眉を顰めた。
「お前の前住んでいた家よりも、親父のこの家よりももっと大きな奴」
 タケルは目をぱちくりとさせた。その鍵で開く扉が無いというなら、俺様が作ってやればいい。子供のような発想だった。
 妄想だと笑えばいい。その妄想の中で金にものを言わせて何が悪い。俺様は医者になる。父親よりも腕のいい医者に。タケルの両親を助けられたはずの医者に。タケルの鍵があう大きな家を建てられる医者に。
「うそつき」
 タケルは小さく小さくため息を吐いた。
「……帰る」
 タケルは最後にジッと俺様の目を見ると、俺様から彼の心を奪い返す事を諦めたようだ。職員に連れられて家に戻る彼。彼の心のよりどころだった鍵はまだ俺様が持っている。
 俺様は目を閉じた。俺様はタケルの本当の心が欲しい。こんな偽者の心じゃなくて。本物の。
 いつか、俺様がタケルの心から落ち着けるような家を作ったら、彼は自分に彼の心を明け渡してくれるだろうか。
(――それまでは、これは返さない)
 そうやって誓った中学生のある夜。俺はその鍵をそれから十数年ずっと肌身離さず持ち歩く羽目になる。タケルと再会するのは社会人になってからだ。お互い、研修医という立場で再会するようになるとはその時は思ってもみなかった。





おわり



今更の更新でごめんなさい。J庭の帰っちゃうのポスターお題「鍵」でした。悲哀の俺様キャラ……
written by Chiri(11/1/2013)