ホーリー3



次の日、紀一は町の至る所に出向き、必要だと思うものを買い込んだ。
ロープ、手錠、目隠し、布テープ、猿轡。
ゲーム機のために蓄えられた金は無残にも散っていった。
しかし、これは希を逃さないためにも絶対必要なものだった。
もしかしたら希がいなくなる、という事は紀一にとっては死活問題だった。
本来の犯罪的心理を呼び寄せる。
もし希が紀一の前からいなくなると一言でも言えば、その場で監禁してしまおうと紀一は本気で考えていた。

家に帰ったらまた希がいつものように居座っていた。
学校のかばんがその辺においてあるということは、学校からこのまま来たということだろうか。
「おかえり、変態。」
紀一の姿を認めるや、希は少しホッとしたような表情を見せた。また夜まで帰らないと思っていたのだろうか。
「ただいま。希。」
紀一がそう言うと、希は口端を僅かに上げて微笑んだ。無意識のしぐさだったのだろうが、それは紀一にしてみれば本当に天使の微笑みだった。
「最近、よく来るな。親は何も言わないのか?」
言ってみて紀一はしまったと思った。希がサッと笑みを消したからだ。
「今、母さん、実家に帰ってるから。」
「実家に?」
「うん。」
希の表情は浮かない。
紀一はもしかして、と考えた。
もしかして希の親は離婚の危機にあるのではないか、と思った。そしてあのタイムリミットは。…希の両親が離婚するまでの時間?
だとすれば、希はもしかしてこの町から引越していくのかもしれない。
一つの可能性だった。でも、何故かそれが紀一の頭から離れなかった。
紀一の奥に押しやったはずの黒い思念が押し寄せてくる。
別れるというならば、いっそこの場で。そんな想いが紀一を支配し始めた。
そのためにはまずそれが本当に事実なのかを確かめる必要があった。
だから、紀一は迷わず言葉にした。

「あと、四ヶ月なのか?」

希が振り返った。
持っていたゲームのリモコンをゴトリと畳に落とした。
「な、何のこと?」
明らかに希の声は戸惑っていた。
紀一はもう一度聞いた。
「あと四ヶ月でお別れなのか?」
希はサッと顔を青くした。
紀一は心の中にドスッと黒くて重いものが落ちてくるのを感じた。
「何で、そ、それ知ってるの?」
震える希の声はそれが真実だと答えているようなものだった。
紀一はするどい眼光を希に向けた。
少なくとも、希は自分のことを嫌っていないと紀一は思っていた。
手を握ってくれた時は本当に嬉しかった。恋人のような心地がした。
けれど、あと四ヶ月でサヨナラだということを希は紀一に打ち明けていなかった。
おそらくこの様子では打ち明けるつもりもなかったのだろう。
ということはこのまま勝手にいなくなるつもりだったのだろうか。
「お前がいなくなるくらいなら、俺は…。」
「え?な、何が?」
「黙ってろ。」
紀一は希を押さえつけると買ってきたばかりの手錠を希の両腕にはめた。
それを見た希はびっくりした表情で、
「変態大魔王!!」
と叫んだ。全く可愛い中傷だ。
希が意味が分からないという様子で紀一を見る中、紀一は希の足にも手錠をかけた。
「な、何?コレ?ねぇ、何?」
紀一は自分の手で希の口をふさいだ。
希がただでさえ大きい目を更に見開く。
「俺はお前が好きなんだ。愛してる。誰よりも愛してる。お前がどこかに消えるくらいなら俺はお前を離さない。もう家には帰さない。お前のこと放っておく親になんてお前を預けたくない。お前が嫌がるような行為はしない。ただ一緒にいるだけでいい。ゲームだっていくらだって買ってやる。この場所はばれるから一緒に引っ越そう。」
一気に紀一がそう言うのを希はじっと見ていた。僅かに首を横に振る。
目からは涙があふれ出てきた。
「怖いか、俺が…。ごめん。」
紀一がそう言うと、希はぶんぶんと首を横に振った。そして希の口を遮っていた手のひらをかぶっと噛んだ。
紀一が一瞬だけひるむと、希は声を張り上げた。
「どうせ今だけのくせに!!!」
紀一の動きが止まる。
けれど希は止まらなかった。
「どうせ今だけなんだよ!お前なんか!うそつきだ!!ひどい!!」
希の瞳からダラダラと涙が出てくる。
それを紀一は呆然としてみていた。
「俺のこと好きって!ずっと好きって言ってたくせに!!うそつき!!」
…なんだか話がかみ合わない。
紀一は混乱する頭を抑えて、希に聞いた。
「俺のどこがうそつきなんだ。」
「だって言った!四ヶ月でお別れだって!!」
「待て。それはお前がそもそも…。」
「僕が何したんだっていうんだよ!!」
希は嗚咽を必死で我慢しながら受け答えする。その様子があまりにもかわいらしくて紀一は思わず抱きしめた。
希は何も言わなかった。
変態とも触るなとも、何も言わない。本当はこうしてほしかったんじゃないかと思えるくらいに大人しく紀一の腕の中におさまっている。
ゼェゼェ息をする希が落ち着くのを待ってから紀一は言葉を切った。
「四ヶ月後、お前は引っ越すんだろ?」
希は涙に濡れた瞳を大きくさせて、きょとんとした顔を作った。
「引っ越すって?なんのこと?」
しまった、と紀一は舌打ちした。
どうやら大きな誤解があるらしい。思えば、やたらに思い込んで行動した自覚はある。
「じゃ、四ヵ月後に何があるんだ?」
紀一の質問に、希は押し黙った。
紀一は自分の腕を希から外すと、肩を掴み、表情を伺った。
希は口を一文字に結んでいた。
「言って。お願い。」
紀一の切実な言葉に、希は一層に顔を歪ませた。
「…言いたくない。」
「言って。大丈夫だから。」
「やだ、大丈夫じゃない。」
「大丈夫だから。」
しばらくそんな押し問答が続いてから、希が諦めたように小さな声で言った。
「…うとが生まれるんだ。」
「え?」
あまりにも小さくて聞き取れなかった。 希は顔を真っ赤にさせてもう一度声をあげて言う。

「弟が生まれるんだ。」

「…。」
あまりにも的外れな事実に紀一はガクッとした。
しかし希はそんな紀一の反応が気になるのか盗み見るように瞳をあちこちさせた。
「なんだそれは。」
紀一がハァッとため息をつきながら言ったのが癇に障ったのか、希はぴくりと動いた。
「なんだそれって、なんだよ!」
「弟が生まれるからなんなんだ。別に俺らには何も関係が無い。」
「嘘つけ!どうせ俺よりその弟がよくなるくせに!!」
言ってから希はハッとした。
何やらとんでもないことを口走ってしまったように思える。
一方、紀一はやっと理解した。理解してからこれが本当に現実かと疑った。
まるで告白のように聞こえた。弟よりも自分を好きでいて欲しい、と。
そんな紀一を見て、希は観念したようにぼそぼそとしゃべり始めた。
「…どうせ、お前はものすごい変態だから…。」
その前置きはいらないから、と紀一は心の中で突っ込んだ。
「同じような顔なら、若い方がいいって言い出すと思って。」
言う側から希がどんどん小さくなっていく。
このまま小さくなりすぎてこの世からいなくなってしまうかと思えるくらいだ。そうなる前に紀一がそれを止めざるを得なかった。
「分かってない。」
「ハ?」
「希は分かってない。」
紀一は希の目じりに溜まっていた涙に口を寄せた。
それに驚いた希は顔を真っ赤にさせた。
「希は分かってない。希がどれだけ俺を狂わすのか。」
紀一は口を目じりに置いたままささやいた。
その言葉が直に希の骨髄に届くようで心地がして希はフッと目を閉じた。
「世界で希だけだ。俺を狂わすのは。」
希からまた新たな水滴がこぼれる。
紀一がそれを見逃すはずも無く、それが零れ落ちる前にそれを舐めとった。
「そんなこと言って、赤ん坊が生まれたらそっちにいくんだろ?」
まだ信じきれないのか、希はそんなことを言った。
「そんなガキには興味は無い。」
「僕だってガキだよ。」
「違う。希は違う。特別。」
「特別?」
「そう、特別だ。」
そう言って紀一は目じりに置いていた唇を下げていった。
今まで触れることが許されなかった天使の唇に接吻を落とす。
「ん…。」
軽いものから口内をむさぼり尽くすものまで何度も何度もキスを与える。
最初は目を開けていた希も後のほうでは目をぎゅっとつぶっていた。
「んん……ふ…。」
漏れ出る希の声がどうにもかわいらしかった。
このまま襲ってもいいかと思ったが、紀一はグッと理性をきかせて止めた。
もう一度言うが、紀一は忍耐強い変態だった。
紀一が希の髪の毛をさわさわと撫でていると、希がハッと正気に戻った。
「な、何するんだよ!変態!」
「気持ちよかったか?」
「気持ちよくなんか無い!!」
「嘘つけ。拒まなかったくせに。」
ウッと希は言葉を飲み込んだ。ならわざわざそんなこと聞かなくてもいいのに。と心の中で思う。
「この手錠のせいで拒めなかったんだ!!!大体なんなんだよ、これ!!ド変態が!!」
希は手足についている手錠をジャラジャラと鳴らせた。
紀一は肩をすくめてから、鍵を取り出して、手錠を解いてやった。
もちろんその際に、耳元で希にささやくことを忘れなかった。
「もうずっと逃がさないから。」
希は顔を真っ赤にさせて、紀一を睨んだ。
「誰が逃げるか!」

その時の表情がまたあまりにもかわいらしくて、紀一はその可愛い生き物に唇を落とそうとしたが、

ガッツン

「そう何度もさせるかよ!変態!!」
食らったのは天使ではなくかわいらしい小悪魔による痛烈な頭突きだった。
先はまだまだ長いな、と紀一は笑った。


おわり


written by Chiri(3/29/2007)