Fighting Little Bird 家を出た時の足取りは重かった。 生きてきた中で足取りが軽かった日なんて無いかもしれないけれど、それでも今日は足に鉄の枷でもつけているかのようだ。 羽鳥耀(はとり あかる)は昨日の学校での出来事を思い出して、後悔のため息を吐いた。 昨日は思えば奇妙な一日だった。今までだって変な人間にはたくさん遭遇してきたが、耀だけを目当てとする人間が多かったから。だから深山秋介(みやま しゅうすけ)に執着した女子から奇襲を受けたことには驚かされた。 深山秋介ももしかして耀と同じ人間なのかもしれない、とさえ思った。自分では意図せずに変なフェロモン……、自分で言うのは恥ずかしい単語だが、を撒き散らしている人間だ。 けれど、その秋介に言われた言葉。 『耀もちょっと悪いんじゃないの。 だって今ちょっと誘う顔しただろう?』 ……あれは耀の地雷だったのだ。秋介がその地雷を踏んだ瞬間、耀は自分の肢体がばらばらに爆発したかと思った。 子供の頃に一度誘拐されたことがある。まだ小学生の頃で、驚くことに共働きだった父も母も日が変わるまで耀の不在に気づかなかった。 その間、耀は犯人にずっとほお擦りをされ続け、全裸にされ、体中をねっとりとした舌で舐められ続けた。犯されてはいない。けれど、それ以上に気持ち悪いものであったのも確かだ。 「おにいさん、やめてください……」 「だめだよぅ、ヨウ君から誘ったんでしょう〜」 犯人は耀の持っていたランドセルに書かれていた名前、”羽鳥耀”、から勝手に解釈して耀を”ヨウ”と呼び続けた。 震えがずっととまらなかった。どこかの絵本のように、最後は食べられてしまうのかもしれないと思っていた。 まるで洗脳されているようだった。まだ小学低学年だった耀の方から誘ったと犯人は言い続け、結局警察が助けに来たときも同じことを繰り返し叫んでいた。 例えば妖怪につかまったような心地だ。 人とは思えない。変態はもはや同じ人間ではない、と思った。そして、助けが遅れた警察にも親にも絶望し、結局自分の体は自分で守るしか無いと悟ったのもその時だ。 自分には根深いツタのような巻きついている。幼い時の記憶もそうだし、もともとの耀の性格からしてそうだったのかもしれない。人を疑うのに慣れすぎてしまった。人の奥深くに潜む異常性をいつも疑ってしまう。 そんな耀の性格を人は「面倒」だとか「厄介」だとか呼ぶのだろう。 そうやっていつの間にか一人になっていたのかもしれない。 周囲にいるのは絶え間なく襲ってくる変態だけ。 こんなゲームが実際にありそうだ。自分以外まともな奴がいない世界。そこで息絶え絶えで生きている。世界はなんて殺伐としているのだろうか。 深山秋介に出会ったのはそんな時だった。 「あ、ごめん」 いきなり廊下でぶつかってきた秋介をすかさず耀はにらみつけた。秋介は不思議そうに首をかしげた。 「そんなに痛かった?」 「……いてーよ」 その日は朝から変態に追いかけられていて相当参っていた日だ。学校は耀にとってはどちらかというと避難所に近い。それでもジャングルの中のキャンプのようなもので、本当に安心できる場所なんてどこにも無かった。 「ごめんってば」 言いながら秋介は爽やかに笑った。その暖かい日差しのような微笑みに耀は眉を顰めた。秋介のことは前から見たことがあった。目立つ奴なのだ。いつも女子や男子に囲まれていて、それでいて誰にも嫌われていない存在。 自分が変態たちに追われている中もきっとたくさんの笑顔に囲まれて笑っている。 (……俺、疲れているのかな) 眉間に指を置いて、ため息を吐く。 自分がこんなに人を妬むような人間だったかが定かに思い出せない。 「あ、くま」 ふと間近に声を感じて、耀は目を見開いた。 深山秋介の指が自分の目元に触れた瞬間だった。 「っ触るな」 驚いて秋介の手を振り払うと、秋介はまた小さく笑みを浮かべた。 「ごめん。 なんか疲れてそうだったから。 ちゃんと寝た方がいいんじゃない?」 「……」 一体どこに。 初対面の奴の体調なんて気にする奴がいるのだろうか。 耀は目を細めて秋介を改めて眺めた。見目麗しゅう顔、爽やかそうな井出立ち。彼は本当に普通にただの恵まれた男子学生なのかもしれない。 けれど。 『ヨウちゃんは可愛いね〜』 顔から足の裏まで舐め尽くされた。あの気持ちの悪い舌触り。 耀を幼い時に攫った犯人は耀の家の新聞配達をしていた若者だった。まだ大学生で、朝会うととても爽やかに「おはようございます!」と気持ちの良い挨拶をするような好感の持てる青年だった。 なのに、人は裏ではどんな顔をしているか分からない。 「……俺はだまされないぞ」 誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、秋介は「ん? 何?」と問い返した。笑顔がうそ臭い。言葉が偽っている。仕草だって普通を装っているだけに見えてくる。 疑いだすと人間なんてものはキリが無い。 「あ、君……」 耀は秋介を無視して歩き出した。けれど、なんだかぶるりと寒気がする。 誰かに見られているような、いや、これはただの被害妄想かもしれない。けれど。 振り返ると、秋介が目を細めて耀を見ていた。さっきまでの爽やかな笑顔はどこかに消えてしまい、神妙な顔で耀を貫き眺めていた。 心臓がバクバクと鳴った。 (ほら……ほらなっ!) 信じちゃだめだ。あの顔は、多分仮面なのだ。少しかっこいいなと思った自分の胸の高鳴りだって騙されていただけのことだ。 信じない。 俺は、信じない。 そう、思っていたはずだったのに。 *** とぼとぼと川岸を歩く。少し歩いては、止まり。しばらく止まっては歩き出す。 朝の光が眩しい。貧血のせいか目がくらんで、前後が分からなくなる。 (学校に行きたくない……) 悪態吐いたことは数知れず。何回か手もあげた。それでも秋介はめげないで耀に話しかける。変な奴だ。けど変態じゃないと最近では思ってた。本当は今もそう思っている。 それなのに、自分で終わりにしてしまった。 『お前なんて知らない。 大嫌いだ!』 今まで後悔なんてしたことがない。ただ、自分の人生を何度も呪った。自分は被害者だとずっと思って生きてきた。自分が加害者なはずが無い、と。どこかで被害者である自分は何をしても許されると思っていたのかもしれない。 秋介の傷ついた表情を思い出す。 自分の彼に対する態度はひどいものだった。 彼はいつ怒ってもおかしくなかった。それなのに、結局最後まで怒らなかった。 そうだ。秋介を見ていて思ったのだ。 自分が傷つけられたからといって人を傷つけていいなんてことは無いのだ。決して。 涙が出そうになるのを堪えた。まだ終わってない。今日学校に行って昨日の事を謝ればいい、それだけなのに、足が震えだす。 自分はいつからこんなに臆病者になったのだろうか。 のそのそと歩いていた足がついに止まる。そして根っこが生えたように動かなくなった。 その時。 「どうしたの、ヨウくん? ……遅刻かい?」 突然、背後に気配を感じて、背筋を凍った。 (……しまった、油断してた) 思った次の瞬間には羽交い絞めにされて、土手に転がされた。男の太い腕が耀の口を封じ込める。耀は迷わずその肉を思い切り噛んだ。 けれど、男の体は身じろぎ一つしない。 「痛いよ、ヨウくん」 にぃっと口元に歪んだ笑顔。腕から血が出るが、男は気にした様子も無い。男は舌なめずりしながら耀を見つめた。 サッと青くなる。初めて見る奴だがこいつは、危ない。危険信号が鳴り響く。 「は、はなせええええええええええ」 無我夢中でその腕から抜け出そうとするが、男の手は鎖のように絡まったままだ。 「だめだよ、ヨウ君やっと触れたんだから」 男は荒い息遣いで耀の後ろ手を持っていたタオルでまとめる。首筋に唾液を垂らされて、鳥肌が立つ。男は耀の制服のズボンに手をかけた。 ハッとそれに気づくと耀はできる限りの声を張った。 「やめろおおおおおおお」 カチャカチャとベルトが外される。下着ごとズボンを脱がされて、地面にごろんと寝かされる。男は耀の上にのったまま、耀の尻を直に撫でる。 「ああ……やっぱり、白くていい形だ」 スーッと双丘を左右に分かつ線を指でなぞられる。ぞわぞわと全身が総毛立つ。 「やだ……やめて、お願いだから、本当やだから」 (なんだよ、俺が何したって言うんだよ) ボロボロと涙が落ちてくる。今までこんなことをされたら言い表せないほどの嫌悪感で相手を殺してやろうかと思ったかもしれない。けれど、今はただ触られたくない。他の男に触られたくないし、触りたくない。変な息遣いも聞きたくない。だって、そういうのは好きな人同士でやるものだろう? 女子のような考えに陥ってしまい、余計に自己嫌悪する。自分は頭がおかしくなったのだろうか?自分は女じゃない、変態でもないのに、好きなのだ。 秋介が、好きなのだ。 男は耀の尻の形を両手でしつこく撫でる。 「ああ、すごいなぁ。 本当に素敵だ。 こんな素敵なお尻をしまってたパンツはどんな形なんだろう? 想像するだけでイケそう」 「……へ?」 うっとりとした表情の男は視線をずらした。その先には、脱がされたズボンと一緒くたになった耀の下着。 男は耀の上から退くと、その下着を手に持った。 恍惚とした顔で男はそれを握り締めた。 「ヨウくん、パンツありがとう。 またちょうだいね」 気味の悪い笑顔を貼り付けたまま、男はそのままの尻丸出しの耀を放って立ち去った。耀は呆然と男の後姿を見送った。 ままならない動きで土手に捨てられたズボンを履いたのはそれから30分後。 後ろ手に結ばれたタオルを自力でほどいたのは更にそれから1時間後。 (なんなんだよ、これ。 くそっ) まるで何かの罰のようだ。 一人で土手に座って頭を膝に突っ伏す。どうしようもない惨めな気持ちに襲われる。 こんなので気づくなんてひどい話じゃないか。泣きはらした瞳から今だ涙が落ち続ける。男なのに情けないと自分で思う。女じゃないのに泣くなんて。 けれど頭の中がぐちゃぐちゃだったのだ。ぐちゃぐちゃになりすぎて前の自分が何を思っていたかなんて思い出せないほどに。 どれだけそうしていたかは分からない。 川は夕日でオレンジ色に染まっていて、耀は優しい空気に包み込まれていた。遠くに浮かぶ橋の影が長く伸びている。肌寒さは感じなく、いつまでもこうしていられそうだ。 けれど、ずっとこうしてなどいられない事も分かっている。途方に暮れてていても何も事態は動かないのだから。 その時だ。 「耀?」 反対側から耳慣れた声に気づき、心臓がドクンと鳴った。もう何度目からだろう。声を聞くだけで秋介だと分かってしまう。それを耀は変態的なことだと思っていたが、違うのだ。ただ、好きなだけ。それだけ。 怖いけど、振り向かないといけない。 振り向かないといけないけれど、怖い。 見知らぬ男に傷つけられた様子を秋介に見せるのは、怖い。 自分の言葉で傷つけた秋介と立ち向かうのは、怖い。 けれど、やっと理解もしたのだ。自分の人生に受けた被害なんてものは関係無い。あっても仕方の無い話なのだ。なんらかの被害を受けたからといって過去は変わることなんて無い。そしてその一方で、未来だって被害を受けたからって道が狭まる事なんて無い。 (何かで決め付けて雁字搦めにしてしまうと、何も生まなくなるのかな) 自分の影が秋介のそれと次第に重なる。 (頑張る事をやめて諦めてしまうのかな) 秋介がすぐそこまで近づく音が耳に届く。 さあ、今からが立ち向かう時だ。 *** 朝、起きると、脚におもみを感じた。 起きたばかりの脳みそを働かすとすぐに頭が痛くなった。そうだ、昨日は熱を出したのだ。秋介に好きだと告げた後に。 ベッドから体を起こすと、何かが動いた。ベッドに頭だけ乗せて、すやすやと寝息をたてている。 ……秋介だ。 途端に顔が赤くなった。湯気が出てきそうになる顔を常温の手で冷やしてやる。 思い出した。昨夜の事。秋介を自分の家に誘い入れたこと。抱けと命令した事。 「……ん? あかる? 起きた?」 もぞりと寝ていた頭が起き上がる。 目をこすりながら開いた秋介と目があう。 「もう、熱大丈夫?」 いいながら、秋介は手を耀の額にあてた。 「あ、大丈夫そう」 秋介はホッとした顔を浮かべると、ベッドに腕をのせて耀に体を近づける。 「昨日、耀の親が帰ってくるまで看病してようと思ってたらさ、結局帰ってこなかったから泊まっちゃった」 「りょ、両親、今旅行に行ってるから……」 「ふぅん?」 どぎまぎしながら耀は答えた。視線が安定せず、布団を握り締める。 秋介の瞳はなんだか熱っぽい。昨日の告白劇の熱がまだ残っているのだ。 「耀? 分かってる? 今も二人きりだよ?」 「へ」 秋介は耀の耳元で囁いた。 「抱いていい?」 (!!?) 体温が急激に上っていくのを感じる。このままでは脳みそが沸騰してしまう。 ベッドにのっそりと乗り上げてくる秋介に耀はたじろいだ。 だって、だって……。 「わああああ! さわんな、このばかやろおおおお」 ドッスーン 秋介の下にあった布団を引っ張りあげると、秋介はおむすびころりんのように、床に落ちていった。ベッドの下の埃が舞い上がり、ケホケホと秋介が咳き込む。 耀はくしゃくしゃに顔を歪ませた。 「……だから言ったじゃん。 熱ある時に無理やりしちゃえば良かったのに……」 それは、子供が過ぎてしまった悪戯を反省する表情。耀が小さく呟くと秋介は盛大に吹き出した。 「別に後悔はしてないよ」 秋介は悪戯っぽい笑みを浮かべた。 優しい顔が多いと思っていたがこんな表情もするのだ、と耀は少しだけ目を瞠った。心臓がきゅんと鳴った事くらいなら認めてやっても良い。 目があうと、秋介はフフンと笑った。 「でも次こそは抱くから」 歌うように囁いた秋介に耀は真っ赤に染まった顔で口を閉ざしてしまった。 昨日の事で自信を持ったかどうかは分からないが、秋介は機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。それがなんだか憎らしく思えてくる。 好きになることは、被害とか加害の次元じゃない。 けれど。 「……そう言ってるのも今のうちだからな」 耀はギリっと歯をかみ締めた。 でもやっぱりメロメロにさせた方が勝ちかな、とは思うんだ。 おわり あれ…また何も無かった。。この子達、どう進展するのかしら。 written by Chiri(6/11/2010) |