エレクトロ(2) やっぱり、この家にお世話になっていてはいけないのだ。 鼻水をたらしながら、僕は自分の荷物をまとめた。たった一ヶ月間だけど一緒にいれて幸せだった。幸せが幸せだと分かっている今のうちに僕は消えたほうが良い。 「スキップ」 聞き慣れた声に僕は振り向いた。襖を開けられると、見慣れた顔。中学生にしては端正なその顔は、沁よりもまだ幼さが残っている。 「たっくん」 僕は荷物を詰めていたかばんを後ろ手で隠すと、襖のところまで駆け寄った。たっくんは居心地が悪そうに俯き加減でぼそぼそと口を開いた。 「さっきはごめん。 俺、別に本当にスキップのこと気持ち悪いって思ったわけじゃなくて」 「うん」 「身内……っていうか兄貴の恋愛事情ってあんま聞きたくないじゃん。 本当、それだけだったんだ」 「そっか。 大丈夫、気にしてないよ」 僕はニコッと笑みを浮かべた。たっくんはそれを見ると、日の光を浴びたように元気になった。 「それに俺、別に良いと思うし!」 「……え?」 たっくんは目を輝かせて、語気を強くした。 「だってさ、うちの兄貴って全然弱み見せないじゃん」 「うん?」 「俺は兄貴にいつも助けられてるけど、俺は兄貴のこと助けた事ないんだ」 弱みを見せないというか、弱みなんて沁には無いのだ。まさに清廉潔白。芯が強くてぶれない、そんな強さを持った人。 たっくんはへへっと笑った。 「だからさ、兄貴がスキップとつきあったら、それって弱みじゃん? 俺、二人の力になりたい」 僕は目を見開いた。 たっくんの言葉は僕にぞっと鳥肌が立たせた。 彼はきっと悪気が無いのだろう。けれど、今まで美しく凛として生きてきた沁の弱みが僕だということ。それは客観的に見て、本当にそうなのだろう。 ゲイであることのリスク。人を巻き込んでしまうリスク。それを知っていながら、その意味の本当の深さなんて知らなかった。 僕はたっくんを厳しい目で見つめた。 「ダメだよ、たっくん」 「え?」 たっくんが僕を見返す。 「なんで、たっくんは自分の兄ちゃんをそんなところに置きたがるんだ。 ホモたちの世界なんて人から見たら気持ち悪くて、理不尽に嫌われて、本当の好きな人とだって結ばれないような世界だよ?」 「え、でもスキップ……」 「沁にはそんなの似合わないんだよ!」 突然、僕が語気を荒くすると、たっくんはビクリと後ずさった。 「家族だろ? ちゃんと僕を沁から引き離せよ」 「スキップ? 何言ってるんだよ、だって兄ちゃんは」 「僕、出てく」 たっくんが目を瞠った。 後ろに隠していたかばんにはもうこの家に置いてある荷物をほとんど詰め込んであった。それを肩にかけると、僕は襖を開けた。たっくんの横をすり抜けると、たっくんが「待って」と声をあげた。無視して、廊下を進むとたっくんの制止する声が大きくなった。 「待てよ、スキップ、……スキップ!」 僕が決心した顔でたっくんの制止を無視すると、ついにたっくんは声を張り上げた。 「兄貴! スキップが出てっちゃう! 兄貴!」 ギクッとして僕は歩幅を大きくして小走りになった。ドタドタと玄関まで駆け抜けて、靴を履くところで、玄関扉のガラスに映る沁の姿が見えた。 「スキップお前どこに行くんだ……?」 沁の顔は見れなかった。まるで裏切ったような罪悪感。拾ってくれたのに自分から出て行くなんて不義理にも程がある。 けれど。 (もう……) 振り返らずに僕は扉を開けた。日が暮れた後の空は光が一筋も射していない。 (迷惑はかけたくないんだ) 後ろでボリュームが大きくなる二人の声を聞こえないように手で耳を塞いで、僕はそのまま無我夢中で走り逃げた。 *** 夜の街に来るのは本当に久しぶりだ。 どこに帰っていいか分からず、公園をまわり、電車に乗り、いつの間にかここに来ていた。自分の居場所なんてどこにも無いと言われた方がまだましなのに、僕はまるで吸い込まれるようにこの場所に帰ってきていた。 「僕って……本当バカだ」 居場所なら沁がくれたはずだった。でもあそこは温かすぎて僕には似合わなかった。所詮、この暗くて歪んだ街しか僕には似合わないのだ。 「あれ、ポチじゃん?」 ふと顔をあげると、昔よくこの街で見た顔を見つけた。おそらく本名ではないが、コウと名乗っていた男。僕みたいに居場所がきっと無くて、この街で一晩でも良いから一緒に過ごしてくれる男をいつも探している。 コウはおそらく今日ひっかけたばかりの男性と腕を組んで立っていた。コウはその男性に何か説明してから、僕の傍まで駆け寄った。 「久しぶりだね、ポチとここで会うの」 「うん……」 コウは僕の事を何故かポチと呼ぶ。僕は自分を『ミキ』と名乗ってたけど、そんなのお構いなしだった。 コウ曰く、僕がここで人を探す姿は忠犬が帰らない主人を探すのと少し似ていると言う。 「なんかあった? 居場所を見つけたからここに来なくなったと思ってたのに」 「ちょっとね……」 「一緒に来る? 今日三人でもいいってあの人言ってたけど」 退廃した生活。沁の家に居る時とは大違いだ。 「ん、いい」 僕が首を横に振ると、コウは「そっか」と笑った。頭を一度だけくしゃりと撫でられて、コウは男の元へ戻っていった。僕はそんなコウが擬似的ではあるけれど、飼い主を見つけたようでとても羨ましくなった。 ああ、そうだ。だから、僕はいつもここで立ってて、自分の飼い主を探した。ずっと僕は沁の代わりを探していたんだ。 その後も昔馴染みにばかり声をかけられた。皆、いつの間にか僕の事を「ポチ」って呼んでいた人たち。多分、コウが勝手に広めたんだけれど。 「やっと飼い主見つかったんだなって皆でしゃべってたんだけどな」 「また戻ってきちゃったのか、ポチ」 「次は良い飼い主見つかるといいな」 だからなんでそんなに犬に見立てられているのだろう。 ハァッと深くため息を吐いていると、また声をかけられた。今度は大学生のようだ。 「相手、探しているのかな?」 聞かれて、慌てて首を振った。大学生は特にがっついた様子もなく、「ん? そうなの。 ならいいや」と簡単に諦めていった。 その大学生を見ていると、すぐまた僕の横にいた男に彼は声をかけた。相手が頷くと、二人は腕を組んでネオン街の方へと向かっていく。 僕は一体ここで何をしているのだろうと我に返った。ここで今日抱いてくれる人を探すつもりでいたのだろうか、僕は。 沁の生活に触れて、自分の生活のひどさを実感したはずなのに。 (一度一緒にいたからいけないんだ……) 気づくとボロボロと涙があふれてきた。 探しても見つからない。だってあの人もこの人も沁じゃない。沁がこの街にいるなんてことは無いのだから。 落ちてくる涙を掌で何度も拭う。そうこうしているとうちに夜が更に暗い夜となった。違う、自分に影が落とされているのだ。 顔をあげると、沁が目の前に立っていた。 「沁……」 沁は何も言わずに僕の頬に流れる涙を沁の指でなぞった。僕は驚いて泣く事はやめた。 「どうしてここに」 「お前の事、見てた」 「え」 「誰かについていったらどうしてやろうかと思ってた」 沁の表情には怒気が含まれているのが分かった。僕はびくつきながらも沁の顔を見続ける。 「でも良かった、ついていかなくて」 沁はそう言って、顔を近づけた。殴られるかと思った。 けれど……キスされた。 本当に一瞬だけの子供同士みたいなキス。 「しん」 そのまま腕の中に引き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられる。 「よかったついていかなくて」 同じ事をもう一度言われて、何故か一度引っ込んだ涙がまた出てきた。 今のキスは何。どうしてこんなことするの。どうしてこんな僕にとって嬉しい事を言うの。 抱きしめられながらグルグルと無い脳みそをまわす。 「お前が何も欲しがらなくたって」 沁は僕の頭を撫でた。 「俺は、お前に触りたい」 いつものように頭を撫でられて、ホッと息を吐く。思えば沁が僕にするその撫でる行為は何かの意味を持っていたのかもしれない。僕は何も気づいてなかったけれど。 「仕方ないだろ、勝手に電流が走るんだから」 それはまるで心臓を雷で打たれたように。 「しん」 僕が沁の腕の中で顔をあげる。 「僕も知ってるよ、それ」 僕も気持ちがどんどん溢れちゃって本当にどうしようもなくなるとスキップしたくなるんだ。それはまるで電流が体中をめぐるよう。反射的に僕はいつもそうなってしまう。 沁が好きだって気持ちが器にもう収まりきらない時にそうなるんだ。 ねぇ、沁も同じだというの? 僕とおんなじだというの? だとしたらそれって沁も僕が好きだっていうこと? 沁は何も言わなかった。 僕の事を好きだとも言わないし、嫌いだとも言わない。 僕がここに来た事を責めなかったし、もうここに来るなとも言わなかった。 けれど沁は僕の左腕を掴むと、そのまま歩き出した。ネオン街が遠ざかっていく。ここを抜け出すと僕の逃げ場所はどこにもなくなる。 けど、それでいいんだ。 今から行く場所はもしかしたら大切な人も一緒に巻き込んでしまう世界かもしれない。だけど、沁が僕の手を引っ張ってくれるから。こうやってずっと手を繋いでいたならば、電流が流れる時は二人とも一緒に感電するのだから。 うちに帰ると、たっくんが心配そうに僕と沁を家の外で待っていた。僕の姿を見つけるとたっくんは「スキップ! 良かった、心配した! 本当に心配したんだからな!」とくしゃくしゃの顔で喚いた。 僕と沁が手を繋いだままでもたっくんはまるでそれに気づかなかったように僕に文句を散らす。たっくんのその反応にずっと冷たくなっていた僕の心のどこかがやっと少し熱を取り戻した気がした。多分、たっくんのその表情が嘘じゃない事にやっと僕は納得できたんだ。 「たっくん」 僕はたっくんの顔を見た。たっくんはむくれた表情のまま、僕を見返した。 「僕、沁が好きなんだ」 「知ってるよ!」 たっくんは僕の袖を握った。 「そんで兄貴もスキップが好きなんだろ!」 たっくんの強い言葉に僕は面食らった。まさかそんな言葉が降ってくるとは思ってもいなかった。 僕が困惑した表情で沁の顔を覗くと、沁は恐ろしいほどの無表情でその場に立ち尽くしていた。僕は、その顔が怖くて思わずたっくんの手を握ってしまった。 「……家の中入るぞ、スキップ、琢」 無表情のまま、沁が言った。 「なんだよ兄貴! ちゃんと言えよ! バーカバーカバーカ」 「兄貴に向かってバカとはなんだ、お前夕飯抜くぞ、いいのかバーカバーカ」 夕飯抜きが嫌だったのか、たっくんが口を尖らせたまま無言になる。沁がなんか子供っぽくなっているのは気のせいだろうか。うん、……気のせいだよね。 沁は僕の手を引っ張り、家の中へと迎え入れる。僕はたっくんの手を握っていたからたっくんもそれに引っ張られた。 僕ら三人を家の中に入れてカチャッと閉まる扉の音は、なんだか僕たちの空間に見えない鍵をかけたような気持ちにさせる。 たっくんがぼやきながら部屋に向かう途中、沁はまた僕の頭を優しく撫でた。 うん、電流が走るんだ。僕も沁も多分同じように。 僕は沁のその撫でる手にキスをすると、笑顔でスキップしながらリビングへと向かった。 おわり そんなわけで100万HITのお礼小説でした。一応続きはずっと考えてたんだけど、やっと文章に起こせました。初心に戻るといろいろハッとしますね。 written by Chiri(7/16/2010) |