ダメ人間奮闘記(5)



「シュワッチ!私、エミリ!今回はぁ〜、地元のおいしい弁当屋さんを紹介しちゃいまぁす!」

やけにテンションの高いツインテールの女性がマイクを持って、うちに取材に来たのはそれから二週間後の話だ。
カメラマンとそのアシスタントが一人、そしてインタビューアーのその子がいて計三人だけだ。それだけでいかにローカルなテレビ番組かが分かる。
顔を映して欲しくない親父はすっかり厨房の中にひきこもってしまい、仕方なく俺と奥さんでインタビューに応じていた。
「この弁当屋・カツ親父にはぁ〜、こぉんな可愛い髪形をしたイケメンがいるんですよぉ!」
そう言ってカメラが俺を映した。
俺はまさか愛想笑いなんかできなくて少しだけ狼狽した。そんな俺に構わず、インタビューアーはベラベラと視聴者に向かってしゃべっている。
「この髪型可愛いですね!しぃかもぉ!この弁当屋さんの店員さんみんなこの髪型をしているんですよぉ!見てください、奥にいる頑固親父も!」
「俺をうつすなぁ、ボケェ!!」
「エミリ、怒られちゃいました〜ウフフ。」
こんなフリーダムな取材でいいのだろうか、と思いつつも俺は赤くなっている親父を見て少しだけ笑みを浮かべることができた。
インタビューアーの女性はすかさず俺に質問をぶつけてくる。
「名前、なんていうんですか!?」
「えっと、大内一成です。」
「大内さんはまるでカツ作ってる店の店員とは思えませんね!!」
意味が分からない。
俺が首をかしげていると、インタビューアーの子は「後ろに居る親父はいかにもカツ揚げてます!!って感じですけど!ウフフ!!」と笑った。「うるせぇ!大きなお世話だ!」と親父の檄が飛ぶが、彼女は心地よくスルーだ。
だから、本当にそんなに自由でいいのだろうか…?
俺は戸惑いながら話した。
「いや、俺はまだカツ揚げさせてくれないんですよ。専らキャベツの千切りばかりです。」
「なるほど!!流行りの千切り王子ですね!!」
…もう本当に言っている意味が分からない。
「あ、そういうの流行ってるんですか。」
「流行ってますよぉ!!エミリの中で!!ウフフ!!」
このインタビューアーの不思議っぷりには流石の俺も本当驚いた。
結局そんな感じで意味不明なやり取りは終了して、取材はその子の
「千切り王子に会いたい人は弁当屋・カツ親父!弁当屋・カツ親父に是非いらしてくださいねぇ〜!!エミリも超オススメな弁当屋さんでしたぁ〜!!それでは、次の店にシュワッチ!」
という言葉で締めくくられた。
取材が終わる頃には俺も親父もゲッソリだ。
奥さんだけ終始楽しそうに笑っていた。

「意外と人気なのよ、この番組。」

多分、インタビューアーの女の子がマニアックな人々に受けているのだ、と俺は受け止めた。






「いっちゃん!見たよぉ〜『エミリのシュワッチ!』」

昼の三時過ぎ。
そろそろ忙しさのピークを超えた時に常連客の黒川千歳(くろかわちとせ)ちゃんが俺に話しかけてきた。
彼女は近くの大学生で、すっかりこの店の常連客だ。
時々嬉しそうに俺たちと同じ髪型にしてくるくらいだから、よっぽどこの店を気にいっているようだ。
俺が首をかしげて千歳ちゃんに聞き返した。
「エミリのシュワッチ?」
なんだ、その不思議な単語は。
「何って!この間、取材受けたって言ってたじゃない!今日、放送されていたのよ!」
「あ〜あれ。」
言われて思い出した。
『エミリのシュワッチ』だなんて、あのインタビューアーの子に似合いすぎだ。
「あの番組、結構人気あるのよ!?突っ込みどころ満載すぎて。」
「あー確かに。だから今日混んでたのか…。」
思えば今日はやたらに人が多かった。しかも俺のことをキャベツだの王子だの変な単語で呼ぶのが聞こえると思ったのだ。
「いやー本当でもアレはおもしろかったわ。しかも、何?千・切・り・王・子!?」
プププッと笑われてしまい、俺ははぁっとため息を吐いた。
意外に女性の方がああいう番組を見ている人って多いのだろうか?今日来た客は圧倒的に女性が多かった。
大体三時過ぎていても、まだちらほらと弁当を待っている人がいる。いつもならこの時間はもうガランガランなのに。
ハァッともう一度ため息を吐いた。
ため息を吐くたびに頭の髪の毛が揺れている。

その時、だ。


バン、っという音が聞こえた。
見れば、誰かがガラスの自動ドアが開くのを待っていられなかったのか体でぶつかった音のようだった。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

俺がびっくりして駆け寄ると、その人間は顔を上げて俺をまっすぐに見てきた。
俺はヒュッと息を呑んだ。

もう会わないと思っていた。
なのに、見ると一気に今まで会わずにいられたのが嘘なくらい息苦しくなった。


それは二ヶ月半ぶりに見た、武藤の顔だった。




「む、…武藤?」
「先輩!やっと見つけた!!」

そのままひどく強い力で抱きしめられた。

そこにいる女性客全員の目が俺たちの方に一気に集中した。

「ちょ、ちょっとやめろよ!武藤!!」

慌てて声を張り上げて、武藤を引き離すと武藤はすがるような顔で俺を見てきた。

「え?武藤…。お前、痩せた?」

武藤の頬はこけていた。目の下はくぼんでいるし、くまもできている。そして無精ひげが生えていて、清潔感たっぷりの武藤はどこへやら、といった感じだった。
びっくりした。だって。
だって、そう、まるで武藤は浮浪者みたいだった。

「何?いっちゃん、この人と知り合い?」

千歳ちゃんは不審そうに武藤のことを見た。
俺はうん、と頷く。

「うん。前、一緒に住んでて…。」
「同居人?」
「…うん。」

千歳ちゃんの言葉にうんうんと頷いていた。
なんだか俺の頭の中は上手に働いていなかったみたいだ。

「違う!先輩は俺の嫁さんでしょう!?」

…武藤の頭もどうやら上手に働いてなかったみたいだけど。

武藤の言葉に周りが唖然とした。
いや、俺も。

「む、武藤!!お前、何言って!」
「なんで突然いなくなっちゃったんですか?俺のどこがいけなかったんですか?悪いところ全部治すので、戻ってきてください!」
「む、武藤…。」

初めて見る武藤の鬼気迫る様子に俺は沈黙した。
すると見かねたように千歳ちゃんが横から口を出してきた。

「貴方何?いっちゃん、混乱してるじゃないの!変なこと言わないでよ!」
「千歳ちゃん…。」
「いっちゃんはね!今、ここで一人でちゃんと生きてるのよ!なのにどこに連れ戻すって言うのよ!」

千歳ちゃんの言葉に俺はなんだかじーんとしてしまった。今まで何も入っていなかったプライドを入れるはずの箱が静かに満たされていく感じだった。

そうだ、俺は生きている。
俺、一人で生きているんだ。
もう、ダメ人間じゃないんだ。

俺は武藤に向き直った。
武藤の目が俺を映す。れっきとした一人の人間を。

「武藤、俺、今ちゃんと一人で生活してるんだ。お前は、もう俺の世話をしなくていいんだよ。」

優しい口調で語りかけてやった。
武藤の顔を見れば、愛しくて仕方なくなる。
俺はコイツが好きだった。そして今もすごく好きだ、と心の底から分かってしまう。

「なぁ武藤?お前は俺が何もできなかったから、助けてくれただけだろ?もう、無理しなくていいよ。」

俺がそう言うと、武藤は大きく首を横に振った。

「違う!俺はあんたが好きだ!どうしようもなく好きなんだ!」
「違うって、それは。ただほうっておけないだけだよ。お前だってなんで俺のこと好きなのか分からないっていってたじゃん。」
「そんなの未だにわかんねーよ!きっと理屈じゃないんだよ!俺、アンタのことテレビで見た!ちゃんと一人で頑張ってるの、分かってる!ほうっておけないとかじゃないんだ!俺が!!アンタを欲してるんだよ!!」
「武藤…。」

武藤のまっすぐな瞳を見て、つい涙が出そうになった。
でも、だって。
ダメなんだ。俺が側に居ると。

俺は喉を詰まらせた。

「だ、だって、武藤、だめになっちゃうって。」

声が震えていた。
静まり返る店の中で、俺の声が誰にでも分かるくらい悲痛に震えていた。
武藤は間髪入れずに聞き返した。
「何がですか?」
俺は息を呑んだ。上手に言葉を紡げなかった。
「だ、だめになっちゃうんだ、俺と一緒にいると。武藤がだめになっちゃうと思ったから、俺は一緒にいるの、やめたのに…。」
自分の声じゃないみたいな弱弱しい声だった。武藤は眉間に皺を寄せた。
「誰がそんなこと言ったんですか!!」
「だって…っ!!」
爆発してしまいそうだった。
「本当は俺だって…っ!!」
言いそうになって慌ててやめた。
……だってこんなこと。今更じゃないか。
武藤はそんな俺の顔をじっと見つめていた。そして深い澄んだ色をした瞳で、俺に語りかけた。

「ねぇ、先輩。俺を見てください。今度は俺がダメ人間になりそうなんです。貴方がいないと、俺がダメになっちゃうんですよ。」

俺は武藤を見た。
前見たような爽やかで完璧主義だった青年とは思えない風貌だった。
俺を失って変わってしまったのだ。

だから、と声が聞こえた。
いいんだよ、と。
好きになっていいんだよ。
恋をしていいんだよ、と。

俺はぱくぱくと口を開けた。
言いたい言葉を口にしてい良いのか迷った。

千歳ちゃんが俺を心配そうに見ていた。けれど目があうと、にこりと複雑そうな笑みで笑ってくれた。背中を押してくれているのだろうか?
それをみて、俺は何を言えばいいか逡巡した。言っても良いのか再考した。

けれど、答えはいつでも俺の中にあったんだ。


「俺も武藤が好きだ。」


言った瞬間に大きな腕で抱きしめられた。

きゃぁっと黄色い悲鳴があがった。
その中に千歳ちゃんと奥さんの声が混じっていたのに俺は気付いていた。
気付いていたけど、久しぶりに感じる武藤の体温は全ての音を掻き消していた。

「先輩、帰りましょう?俺たちの家に。」

腕の中で囁かれた。

「え、でも、俺、まだ仕事が…。」
「今日は無理矢理にでも連れて帰りますよ。いいかげん、コウチがひからびそうだ。」
「え、何のこと?俺、仕事…。」

俺がグズグズ言おうとしたその時、奥から親父の怒号が聞こえてきた。

「一成、てめぇ!また俺の店に変な付加価値つけやがって!!今日はさっさと帰れ!!」

初めて親父に名前で呼ばれてびくっとして、俺は思わず武藤の腕から離れた。
するとやっと視界が開けて、周りが見えた。

店の明かりがまぶしく俺の顔を映し出す。
明るく光に満ちた店内には俺と武藤を取り巻いて、輪のような人だかりが出来ていた。

奥さんが何故かとてもニコニコした顔で笑っていた。
千歳ちゃんも渋面を作りつつ、小さな笑みを浮かべていた。

そして何故かそこにいた女性客はやたらに感動した様子で俺たちを見ているのだ。
今にも拍手でもし出しそうな雰囲気だ。

「さっさと帰れ!!明日からまたしごいてやらぁ!!」

また奥から親父の怒号が聞こえて俺は「ハイ!」と背中をピンとして答えてしまった。
奥さんが笑っていると、千歳ちゃんがその横で「カツ親父最高!」とヤケクソ声で叫んだ。そこにいる女性客がそれに続く。「カツ親父最高!」
親父は顔を真っ赤にさせて「うるせぇ!」と怒鳴っていた。
それを見て、俺は笑った。

そのまま俺は皆に見送られる形でその場を後にした。
そして、武藤に連れられてあのマンションへと帰ったのだ。




帰る途中、車を運転する武藤の顔をずっと見ていた。

「ひげ生えている武藤初めてみた。」

俺がそんな事を言うと、武藤は苦笑した。
「そんな、人をレアキャラみたいに言わないで下さい。」
くすくす笑う俺に武藤は優しく話しかけてきた。
「先輩はすごく変わりましたね。たくましくなったし、素敵になった。」
「本当?」
頷く武藤に俺は本気で嬉しくなった。
ダメ人間だった頃と違うくて、いろんな事をしてみたいな、と思えるようになった。
なんだか体の軽さが違う。心の軽さが違う。まるで羽根が生えたようだ。
「武藤。俺、特技できたよ。」
「何ですか?」
「キャベツの千切り。」
武藤がプッと噴出した。
「千切り王子でしたっけ?」
テレビのことを蒸し返されて、ちょっと恥ずかしくなった。
けれど、武藤のためならいくらでも千切るよ、俺。なんていう変な言葉が出てきそうになって俺は慌てた口をふさいだ。

マンションに帰ると、まさかのまさか。
コウチが一回り小さくなっていた。
ガリガリにやせ細ってしまいまるでミイラのようだ。
なんなんだろう。コウチと武藤、まるで比例したようにどちらも痩せてしまった。

「……ど、どうしたの?これ?」
「貴方に会いたかったんでしょう?俺と同じで。」

俺が部屋に入ってくるなりすごい勢いで擦り寄ってきたコウチに俺はじーんと来た。
コウチを飼いはじめて六年目にして初めてコウチに愛されている実感がわいた。
自然と涙が出てきた。

「うぅ…ぅ…。」
「ちょっと先輩泣いてるんですか!?」

うんと頷くと、武藤がコウチに対抗するようにぎゅーぎゅーと抱きしめてくる。

「ったくさっき俺と再会した時も泣かなかったくせに!!」

憎らしいような声で俺をなじってきた。
俺は小さく首を振った。

違うよ。
泣けてきたのは、実感したからだ。

コウチがいて。
このマンションがあって。
武藤が俺を抱きしめてくれて。

俺は戻ってきたんだって。
武藤のお嫁さんってポジションに帰ってきたんだって。

そう言いたかったけど結局声にはならなかった。
俺は泣き顔のまま、武藤の方を見上げた。

武藤もコウチも同じようにして痩せこけてしまった。
そんな見ていて可哀想になる骨ばった顔を見て、心の中で決心する。


たくさんキャベツを切ってあげよう。
ごはんもちゃんと作ってあげよう。
家事だって手伝おう。
好きってちゃんと言おう。

もう勝手に諦めたりはしないから。


俺はもう武藤をだめになんかしないんだ。


武藤の顔をじっと見上げる。武藤がうん?と優しく俺を見下ろした。

そうだ、手始めに。

このミイラみたいになってしまった男に生気を送り込まなくては。
そう思い、俺は奴に渾身のキスをプレゼントした。





おわり





こんな弁当屋もあってもいいかと。
written by Chiri(11/30/2007)