ダメバレンタイン成功例 「そういえば、いっちゃんはあの男にチョコあげないの?」 ある日の千歳ちゃんの言葉に、俺は目をパチパチとさせた。 弁当屋カツ親父は夕方4時ごろは暇で仕方ない。そんな時に同じく暇人の千歳ちゃんが時々時間を潰しに来たりする。そんな俺と千歳ちゃんの会話だ。 「チョコ?」 まるでそんな単語知らないかのように聞き返すと、千歳ちゃんがくりくりとした目を俺に向けた。 「だってバレンタインだよ?今日」 「バレンタイン?」 また初めて聞いた単語のように聞き返してしまった。 だって実際自分には関係の無い日だと思っていた。去年も一昨年も自分がこの日の為に何か特別なことをした覚えは無いのだ。 しかし考えてみれば、去年も一昨年も武藤は特別なことをしていた。俺にどこぞで買ったかしらないチョコレートを持って来て、てずから食べさせてくれたのだ。 「まあ、あの人なら別に大丈夫か」 「何が?」 「他の女にチョコもらっちゃうかもって思ったんだけど、あんなにもさい男きっとチョコもらえないよね」 その言葉を聞いて俺はビックリした。 そういえば千歳ちゃんはヒゲぼーぼーでもさい格好をした武藤しか見ていないのだ。あのときの武藤は確かにひどかった。髪の毛もぼさぼさのままだったし、いつもはきっちりとアイロンをかけてある服もくしゃくしゃで、更に言うと足元はサンダルだった。 けれど、あれから俺がうちに帰ると、武藤はまた爽やかな男に戻っていった。理由を聞けば俺が側にいないときちんとする余裕がもてないだとか言っていた。正直、よく意味が分からない。 問題は、今の武藤は女受けのする爽やかな青年だということだ。 アズミさんのことを思い出す。職場にはアズミさんのように武藤の事を慕っている人間はたくさんいるだろう。そんな女性が何人も武藤にチョコレートを渡すのだ。もしかしたら武藤の気持ちも傾いてしまうかもしれない。 初めて、俺は危機感というものを覚えた。 ここは一つ、頑張りどころなのかもしれない。去年や一昨年の俺とは同じだと思わないで欲しい。ダメ人間は脱したのだ、これからは武藤を自分から繋ぎとめようとしなくては。 俺は一気奮闘して千歳ちゃんの方を真面目な顔で振り向いた。 「千歳ちゃん、お願いがあるんだけど」 千歳ちゃんは不思議そうな顔で俺を見つめ返した。 家に帰ると、俺は千歳ちゃんに借りた道具を袋から出した。奥の部屋から出てきたコウチが訝しげに俺の様子を見ている。匂いが気になるのか、しばらくすると足元までそろりそろりと寄ってきた。 どうせ武藤が帰ってくるのは夜だろう。 それまでに作らなくては。 心のこもったチョコレート。俺が人生で初めて作る手作りチョコレートだ。 千歳ちゃんに聞いた話ではチョコなんて作るのは至極簡単とのことだ。買ってきた市販の板チョコを溶かして型に流すだけだとか。なるほどそれなら俺になってできるだろう。 しかも千歳ちゃんに貸してもらった型はハート型だ。それにチョコペンで「本命」とでも書けば武藤だって否応無しに俺の愛情を理解してくれるはずだろう! そう思って俺は早速買ってきたチョコレートを刻んで、湯銭にかけてみた。 「あ、しまった、チョコを買いすぎた……」 湯銭で溶かしたチョコレートはうちにある一番大きなボウルの9割を埋めるくらいの量になっていた。型に流すのはその十分の一で足りるだろう。まさかこんなところにも経験の差が出るとは思わなかった。まあ、溶かしてしまったものは仕方ない。あとから武藤に正直にいって一緒に始末してもらうことにしよう。 とりあえずその膨大な量になってしまったチョコレートは気にしない方向で、続ける事にした。温まったチョコレートをハートの型にそれを流し込んでみる。失敗なんてする方がおかしい工程なのでどうにか流し込むのに成功した、と思いきやチョコレートがいつの間にやら手やら顔についていた。だがこれくらいの失敗はご愛嬌だろう。あとは冷蔵庫に入れて固めるだけだ。 いつのまにか足元で丸くなって寝ていたコウチを撫でてやる。すると、コウチの頭にチョコレートがついた。あらら、と思って綺麗にしようと思ったが、よくよく見れば台所も床もチョコまみれだった。どうやらいつのまにかチョコをいろんなところにこぼしていたりつけてしまっていたらしい。自分では気付いていなかったがどうやら俺は不器用な部類らしい。外科医にならなくて本当によかったな、とぼんやり思いながら台所を片付けた。 そうこうしている間にチョコが固まり、型から取り出してみた。早速買ってきた白いチョコペンで文字を書こうとする。書きたい単語は「本命」だ。けれど、ふと思った。できあがったチョコのサイズはちょうど両手の親指と人差し指で作るハートの輪位の大きさだ。ここに不器用な自分が「本命」と書けるだろうか?失敗したら全ての工程がやり直しだ。そんなのは嫌だな、と思ったとき閃きの神が降りてきた。 「そうだ、略して書けばいいや」 俺は右手でチョコペンを持つと、神様が教えてくれた単語を注意深く書いた。 うんうん、上手に書けた。 思わず自画自賛してしまった。 愛のこもったメッセージ。これならきっと他の女には負けないだろう。 あとは武藤を待つだけだ。そう思うとなんだか一気に疲れてしまい、俺はソファで転寝を始めた。 *** 「ただいま」 我が家のドアを開けると、いきなり甘ったるい匂いが俺の鼻をついた。バレンタインデーである今日は、朝出勤した時からこの匂いをかぎっぱなしだった。正直、甘いものをそこまで好きではない俺にとってこの匂いは嬉しいものではない。 かばんの中には職場の女性からもらったチョコレートがいくつか入っていた。これを全部食べないといけないのも憂鬱だ。けれどそんな中に先輩に渡す為のチョコレートも一つだけ入っている。 先輩とは俺の可愛いお嫁さんだ。 またどこかにいきなり消えてしまわないようにしっかり愛情で繋ぎとめておかないといけない。そのためにも愛を込めたチョコレートだ。 リビングまで行くと、先輩がソファですやすやと寝ていた。クッションに顔を沈ませて、無防備な顔を惜しげもなくさらしている。その横ではまるでその顔を見たまま寝入ってしまったような憎たらしい猫が一匹。全くこの二匹、もとい一人と一匹は最近急激に仲良くなっていて腹立たしい。 どうやら先輩はまだお風呂に入っていないらしい。この時間までパジャマに着替えていないのは珍しい。何かやっていたのかな?と思いながら、俺はかばんを置いて上着をハンガーにかけた。 かばんの中から、さっき買ってきたチョコレートを出す。小さくて長細い箱には石畳チョコが正方形に区切られて並べてあった。その一つを掴むと、俺は先輩の口に放り込んだ。 「ん……」 先輩は起きないまま、口に含ませたチョコを口内で動かした。そうしてしばらく舌の上でその甘さを味わったあと、もぐもぐと顎を上下させた。まるで子供のようだ。ほほえましくて、俺はクスリと笑った。 「先輩、もう一口」 「……んん」 もうひとかけら石畳チョコを口に入れてやると、先輩がいきなり目を開けた。思わず俺はドキッと体を揺らした。 先輩はむくりと上体を起こす。いつもは寝起きがあまりよくない先輩には珍しいほど潔い起き方だ。 「武藤」 「はい、なんですか?」 なんだかかしこまって返事をしてしまった。 先輩は俺の顔を真っ直ぐに見つめてきた。 「俺もチョコ、作った」 「え?」 「俺もチョコ作った、だから食べて!」 何の冗談かと思った。 俺がその言葉の真偽を疑っている間に、先輩は冷蔵庫に行って無造作に皿にのせてあるハート型のチョコを俺へと持ってきた。 わお!本当に手作りチョコだ! 先輩と何年も一緒にいたけれど、チョコをもらうのは初めてだ。 これは心底嬉しい!と感動していたのだが、チョコに書いてある言葉を見て俺は言葉を失った。 「……武藤ならここに書いてある言葉の意味、分かるよね?」 少し拗ねたように先輩は俺に言った。 「ええええ!?い、いや、分かりますよ。もちろん、分かりますけど」 チョコレートにはアルファベットで一文字だけ書かれていた。 ……「H」。 いや、これはそういうことなのか? 果たしてそういうことでいいのか? 先輩は今夜エッチがしたいってことでオールオッケーなのか!? ぐるぐると俺の頭の中でそんなことが巡りに巡っていた。 そんな俺を見て、先輩が「不器用で悪かったな」と何故か口を尖らせた。意味が分からない。意味が分からないが存外可愛い!そのしぐさだけでもうダメだ。萌える! 「あと、怒らないで聞いて欲しいんだけど……」 続く先輩の言葉に俺は耳を傾けた。 「あの、実は余ったチョコレートがたくさんあるんだ。だから……」 「まさかチョコレートプレイまでも!?」 つい俺のほうが先に言葉にしてしまった。 「ヘ?」 先輩はよく意味が分からないといった様子で俺を上目遣いで見てきた。あーやばい。これはやばい。そんな顔して、俺を誘うなんて先輩やるな! 「先輩!もう我慢できない!」 「はい?」 俺は先輩の腰を抱き寄せて、めちゃくちゃにキスをした。 先輩は「え?何?いきなり」とか困惑した声を出していたけど、きっとそれだって俺をいつもより燃えさせるための演出にちがいない。角度を変えてキスをしているうちに、先輩の瞳もどんどん潤んできた。 もう可愛くて可愛くて仕方ない。なんで俺はこの人をこんなにも好きになってしまったのだろう。なんで人ってこんなにも人を好きになれるんだろう。 「俺、先輩の心ちゃんと受け取ったから」 頑張って手作りチョコを作ってくれて。 頑張って誘ってくれて。 更にはチョコレートプレイまでっ! 今夜は頑張っちゃうぜ! 「先輩、俺今までで一番嬉しいバレンタインだよ!」 感極まって俺がそう口走ると、先輩はとろけるような笑顔で笑った。あーもう今すぐ食べちゃいたいほどに可愛い。 「なんかよく分からないけど俺のチョコが一番ってことでいい?」 先輩は可愛らしくそんな甘い言葉を言った。少しでも他のチョコと競争しようとしていた気持ちが分かって俺は舞い上がりたくなった。 「そんなん当たり前でしょ」 ニコニコ笑う先輩が俺の見えないところで小さなガッツポーズを作った事を俺は知らなかった。そしてそのあと、そんなことをする余裕もなくなるくらい乱れてしまう事をその時の先輩はきっと予測していなかっただろう。 その夜、先輩は声が枯れるまで俺を罵った。 「ばかばか変態エロ武藤!そんなところにそんなん塗るなよ、馬鹿ぁぁあ!」 普段はあまり声に出して怒らない先輩の切羽詰った声を聞いて余計に興奮してしまった俺はまさに先輩の言った通りの人間かもしれなかった。 来年も是非、手作りチョコレート作ってね、先輩。 おわり いつものノリですみません。チョコレートプレイとかね(笑)もう勝手にしてくださいとしか。 written by Chiri(2/14/2008) |