like a green cradle 最初に言っておく。 俺なんて人間はどこにでもいるような男だ。 今までの人生、変な道にそれる事もなく普通に勉強して、普通に生きてきた。特に使命感もなく、自分の学力にあった大学に入って、適当に授業を受けて、適当にバイトをしていた。ちょうど一個目のバイトに飽きてやめた時、このバイトの情報を掴んだ。 一週間に2回の家庭教師のバイトで、時給4000円。ただの男子高校生をそれなりに教えられる人ならそれでいいと。 俺はただちょっと金が欲しいなって思っただけの普通の人間だ。 なのに、今この屋敷に監禁されているのは何故だ? 目の前には切羽詰った目をした俺の家庭教師の教え子だったはずの真敷安曇(ましきあずみ)がいる。こいつの家庭教師を俺はもう半年くらいしていた。我ながら上手くやってきたつもりだった。最初は愛想が無い高校生だと思ったけど、家に親もいたこともなければ、音の一つもしたこともない。俺の給料がいつも月末に振り込まれているだけだ。こんな環境にいればこんな風になるのも仕方ないのかもしれないと納得した。だからといって俺は仕事で手を抜いてもないし、成績があがったら褒美として一緒に好きなものを買いに行ったり、逆にダメな時は励ましたり叱ったりもした。そのうち、こいつも表情が柔らかくなって、俺に気を許してくれるようになった、気がした。 だが、俺を今こんな風にしているのはコイツなのだ。 「安曇……、これ何の冗談?」 俺はいつも家庭教師の時にでかいベッド持ってるなぁと羨んでいたそれに寝かされていた。両手には案の定、頑丈な手錠がされていて、それがヘッドボードにつながれている状態だ。 「……」 安曇の顔は暗く淀んでいる。目の光が無くて、俺の顔なんて見えてるのかさえ分からない。 そもそも何故こんな風になったかというと。 今日は水曜だ。俺の大学の授業も午前中に終わり、いつも6時から始まる家庭教師の時間にあわせて俺はこのでかい屋敷にやってきた。安曇はいつもと一緒の顔――俺によくなついた顔だ――で俺を迎えてくれた。しばらくして、安曇が休憩にしたいと言い出して、安曇が俺と安曇の分のコーヒーを入れてくれた。そしてそれを俺は飲んだわけだ。 で、どうだ。その後の記憶がよく覚えていない。 「安曇、お前コーヒーになんか盛ったの?」 俺はそう聞いたが、安曇は答えない。 俺がベッドで寝ているのを見下ろすようにただそこに立ち尽くしている。不意に、ぽたりと何かが落ちた。なんとなく予測できたが、それは安曇の涙だった。 「先生、ごめんなさい」 安曇の顔には俺に対する罪悪感とそれでも行使するという意思みたいなのが4対6の割合で混ざっていた。ぽたぽたと落ちてくる涙を拭く者は誰もいない。安曇はその寂しさと苦しみの象徴みたいなものをずっと垂れ流したままだ。 「安曇、これ取ってよ」 手錠をかざして言うが、安曇は頭を横に振った。 そして俺は安曇から宣告を受けた。 「先生、僕は今から先生を強姦します」 「え」 その言葉を言い終わったその瞬間、安曇の体がやっとのっそりと動いた。片足をあげて、俺の横たわるベッドに乗り上げてくる。 「え、やめろよ、安曇」 「嫌です」 さっきの涙が嘘のようにしっかりとした声音で即答された。 「俺だって強姦されるのは嫌だ」 「我慢してください」 「無理です」 「僕も先生が嫌がるのが嫌です」 どんな我儘だよ、と思っている間にも、安曇の手が俺の体に近づいてくる。俺は慌てて、強くもう一度言った。 「やだからな、俺、抵抗するからな!」 「先生、やだ、お願い」 安曇の声がか細く震えている。やだやだ言い合っていて、何がなんだか分からなくなる。 けれど俺だって嫌なものは嫌だっつーの。 俺は安曇の腹を軽く蹴った。俺は安曇を可愛い教え子だと思っていたから、本気では蹴れない。安曇はそれを分かっていて、そのまま体ごと俺にのしかかる。俺が足をじたばたさせるが、安曇がのっかかっているのであまり動けない。 安曇が手を上げた。 ぶたれると思ったが、安曇は俺の腰の下に枕を入れただけだった。 安曇が正面から俺の顔を見た。あ、やばいなと直感で感じる。 「……先生、キスさせてください」 「安曇、俺たち、男同士なんだけど」 「分かってます」 分かっているから、こんなに決死の顔なのだろうか。 「安曇、お前、まるで特攻しにいくみたいな顔してるぞ」 気の毒になって、ついそう言ってしまった。 安曇の顔は悲壮感に満ちていて、なのに揺るがない。 「先生、僕は貴方を落とせるなら死んでもいいんだ」 今、貴方、と呼ばれたなと俺は思った。 安曇以外で俺を「貴方」だなんて呼ぶ人間はいない。そのことに少し前から俺は気付いていた。それを呼ばれるたびに俺はくすぐったいし、なんだかとても安曇が俺を慕ってくれているようでとても嬉しかったのだ。 「……お前、貴方とかいっておきながら、強姦するんだな」 それって人を敬う言葉だと思っていたのだけれど。 俺が安曇から顔をそらせると、安曇が傷ついた表情になった。俺はそれにすぐに気付いたけど、安曇と目はあわせなかった。 「だって、仕方ないんだもの」 大きな屋敷にぽつりと安曇の声が消えていった。 こんな大きな屋敷にいつも一人だった安曇。 俺が尋ねる度に、大きな足音を立てて出迎えてくれた。少しでも遅刻すれば、心配した顔で「先生遅かったね」と言うものだから、俺はいつも10分前にはこの屋敷に来るようになっていた。それから安曇は「先生、今日もちょっと早いね!」と本当の子どものように嬉しそうに言う。俺はあの笑顔が可愛かったのだ。 その笑顔が今は無い。どこかに隠されてしまった。 「先生」 安曇の顔が体ごと近づいた。 俺は顔を背けたが、安曇の手が俺の顎を捕まえた。ぐいっと顔の角度を変えられて、勢い良く安曇の唇がぶつかる。上唇と下唇を頑なに閉ざしていたが、親指でこじ開けられた。そこに舌を入れられて、それが口内を土足にむさぼる。 もう一度言うが、俺は安曇を可愛い生徒だと思っていたので、舌を噛み切れない。安曇はそれを分かっていて、行使している。 プチプチとボタンを外されていく時に何が彼をこうしてしまったかを考えてみた。 安曇の母親は小さい頃に殺されている。これは安曇本人から聞いた話だ。 安曇の母は美しかった。安曇の目鼻立ちが繊細で優雅といえるのは母親の面影があるからだろう。けれど彼女の最大の魅力はどこか儚げで異性に自分が守らなくてはと思いこませてしまう危な気さだったのかもしれない。安曇の母を密かに慕う男は多かったという。その中に一人、凶悪な男がいたということだ。安曇の父が仕事で出張に行っている時に安曇の母は乱暴されて殺害された。安曇がまだたった3歳だった頃の話だ。 犯人はほどなくして捕まった。やはり安曇の母を恋い慕い、いつの日か狂ってしまった男だ。近所に住んでいて、安曇の母を逐一観察していたという。 安曇の父は、それからほとんど家にいることはなくなった。仕事を一番に考え、言葉を悪くすると仕事に溺れていったのだ。そのおかげで安曇は経済的に不満を持ったことなど一度も無い。だがそれは、この大きな屋敷に一人残されるということだった。 少し前に「母親ってどんな感じなのかなぁ」と呟いた時の安曇は本当に何も思い浮かばないような表情だった。それでも思考を凝らして、イメージしては母親をまるで真綿のような優しいものだと考えていたと思う。 なのに、何故安曇はその母親を殺した犯人と同じようなことをするのだろうか。 安曇の手はとどまる事を知らず、俺の体を着実に裸に剥いていった。敏感なところに手を伸ばす。それを俺はただ息を殺して我慢した。やがて、双丘を割ったその奥に安曇の指が触れた。 俺は、心の中でああああっと叫んだ。 事態は思ったよりも深刻だ。まさか男に処女を奪われる日が来るとは。 心臓をバクバク言わせて耐えていると上から安曇の感嘆の声が降りてきた。 「……先生のここ、すごい」 「何がだよ!」 思わず、声が大きくなった。もう安曇とは口を利かないつもりだったのに、やはり俺には無理みたいだ。安曇は俺がしゃべった事に少しだけホッとしたようだ。 「……だって先生のここ、なんか俺なんかじゃ触っちゃいけない場所みたいだ」 「じゃ、触らなきゃいいだろ」 俺だってそんなところ、触られたいわけあるか。 安曇は俺の綺麗でも柔らかくも無い尻をサワサワと撫で続けている。やめてほしい、変な気持ちになってくる。 「先生のここって僕みたいな奴が触ったら汚れそう。赤ちゃんがお腹の中にいる女の人のお腹とかさ、あとは何億円もするダイアモンドとか触るのがなんか怖いような……」 「もう黙れよ、お前」 ただのケツの穴だっつーのに、何故そんな神々しさを感じているのだろうか。 それになんだ。「僕みたいな奴」って。俺のケツ穴がそんなに清らかでお前の手がそんなに汚いって、本気でそう思ってるのか? なんだか胸が苦しくなった。自分は被害者なのに、けれどそれでも安曇が考えている事をちゃんと理解していなかった自分が悔しくなった。 安曇は黙ったまま、そこに指を突き入れてきた。 「うあ……」 思わず声が漏れてしまったが、それは仕方ないということで諦める。 しばらくして指が増やされた。俺は手錠をはめられた手のまま、シーツを握り締めた。 安曇の指は慎重だ。決して俺を傷つけないように、そろりそろりと入り口から少しずつ深く入れていく。それがなんだかもどかしい。 「先生、もう入れていい?」 しばらく指で慣らされたあとに聞かれて、俺は顔を横に振った。頷いてたまるか、と思う。 けれど、正直入れるならはやく入れろ、と投げやりな気持ちにもなっていた。 これで安曇の気が済むのだろうか?少しでも安曇の心の闇を薄めてあげられるのか? 俺は結局安曇を憎くは思えない。 こんなにされても安曇はやはり可愛い教え子だ。 指とは比較にならないものが侵入してきた時、激痛が走った。あんなに慣らしたと思ったのにまだ痛いのか。俺の首筋から汗がツーっと流れ落ちる。少しでも声を漏らせば、そのまま泣き喚いてしまいそうだった。 それが全て入ると、俺はやっと大きく息を吐いた。それでも安心はできなくて、すぐに次の息を吸う。まるで打ち上げられた魚のようだ。 その時、上からぽつりと水滴が落ちた。 安曇の汗かと思ったら、またそれか。 今日は泣いてばかりだな、お前。 「先生、先生、変なんだ。ずっとこうしたかったんだ。こうできて嬉しいのに、でも幸せじゃないんだ。なんでだろう。分かんない。……先生、……どうして?」 安曇は心底分からないといった様子で俺に問いかける。 俺は自分の痛みにたえた顔を無理矢理笑わせた。 「それはな、正しい手段で得たものじゃなかったからだろ」 なけなしの先生モードだ。 これで幸せって言われちゃったら俺こそどうしていいか分からない。 良かったよ、安曇。お前はやっぱり可愛いくて、いい子なんだよ。可愛い可愛い教え子だ。 俺がそう言うと、安曇は顔をくしゃっとさせた。子供が痛みに耐えられなかった時の顔だ。もうすぐ泣き出す。今も泣いているのだけど、もっと嵐のように泣き出す5秒前だ。 「だってこうするしかなかったんだ。……僕に他の手段なんてなかった!」 あーあと俺はため息を吐いた。安曇がそのままボタボタと涙を出し始めたから。肩が大きく上下して、息遣いも荒い。この泣き方じゃしばらくの間は泣き止まないだろう。 けれど、ぐすぐすっと泣き始めた安曇に俺は何故か安堵した。 手錠の上から頭を撫でてやる。安曇は俺の胸に鼻が潰れるほどくっつけてわんわん泣いた。 安曇の大きな図体にのっかられながら、俺は安曇のことを何も理解していなかった事を悔やんだ。 最初に言ったとおり、俺は何も苦労していない普通の男子だ。安曇の苦労だって分からなかったし、心の底まで分かろうとはしていなかった。安曇は俺の前では普通にしていたから、それが安曇そのものだと思っていた。 安曇はきっといろんな感情を隠していた。 それに気付いてやったらこんな風になく事も無かったのかもしれない。 安曇がこんなに悲痛な泣き声をあげることも無かったのかもしれない。 その日、安曇は俺の胸でずっとずっと泣き続けた。 部屋に朝日が差し込んだ。 昨日が水曜日だったのだから、今日はいやがうえにも木曜日だ。 結局、俺は一晩中裸のまま、ましてや大きな図体の子供に抱きつかれていて、ましてやそいつの何をどこぞに突っ込まれたまま、過ごした事になる。 「おい、安曇、起きろ」 俺が奴に呼びかけると、安曇は「んー?」と答えた。完全に夢の中だ。けれど、泣きつかれて寝ると、次の日は案外頭がすっきりしているという法則を俺は知っている。 「おい、安曇、起きろ!」 耳元で怒鳴ると、安曇が「はい!」と言って起き上がった。 安曇は俺と顔をあわせると、あああっと一気に顔を崩した。まさか夢だと思っていたわけじゃないだろうに。 「先生……あの……」 言いにくそうに口ごもる。俺は安曇の俯いた顔を睨んだまま、口を開いた。 「……安曇、お前、学校は?」 「え?」 「学校だよ、学校。今、何時だと思ってるんだよ!?」 手錠をはめられた手のまま時計を指差す。時刻は既に九時に近い。高校でいうとホームルームがもう始まっている時間帯だ。 「え?だって……」 「安曇、ちゃんと学校行きなさい!ズル休みは俺が許さん!」 家庭教師の説教モードが思わず前に出てしまう。安曇の口が音の無い形でえええっと言っていた。 安曇は困ったように俺を見た。上から下まで一通り見てから、首を小刻みに横に振る。 「だって、先生……逃げるでしょ?」 「この手錠で、どう逃げるって言うんだよ!」 「でも、だって」 「早くいけっつーの!」 よっぽど俺が怖い顔をしていたのか、安曇は慌てて、制服を取りに行った。一瞬で着替えた後、遠くで歯みがきをする音が聞こえた。台所から食パンを持って来て、俺のいるベッドに置く。 「先生、朝ごはん……」 「分かったからお前は行けっつーの」 「絶対逃げないでね!」 「おう!」 って俺は何元気よく答えているんだ……。 俺が自分に突っ込みを入れている間にも安曇は階段を下りて、玄関扉を開けて出て行く。頭もぼさぼさで、顔だって綺麗に洗っていない姿はなかなか滑稽だった。 あんなんで、俺を襲ってきたんだもんな。 小心者ですぐ泣くくせに、そんなに欲しかったのか? 俺なんてただのつまんない男なのに。 食パンを耳からかじりながら俺はこめかみに手を当てた。 長い夜だった。いろいろあったし、胸元でずっと泣かれたのだ。俺自身、昨日は全然眠れていなかった。ポスンとベッドに横たわると俺は床に落ちていた布団をかき集めた。 これからどうしようかを考えるつもりが何も考えられなかった。 何も考えられないまま、俺は眠りについていた。 夢の中で、誰かが泣いている。 真っ暗な場所。これはテントの中だ。けれど天井がいやに高い。とても巨大なテントで、薄暗いあかりがかろうじて周りを照らしている。客席のようなものがあって、そこには沢山の人が座っている。それらの目線が全て中心に集まっていた。人間の白目の部分が光って、それがやけに不気味だ。 不意にスポットライトが当たった。 人々の中心に照らされると、そこにはまだ幼い小象がいた。 ふわっと何かが空を切る。後ろで幼い子供たちが空中ブランコをしている。その横では動物使いが獰猛なライオンを火の輪にくぐらせている。 ここはサーカスなのだろうか。 そして、あの小象は……。何を象徴しているかはなんとなく分かった。だってこれは夢の中の話だ。 小象は悲しそうに鼻をまるめて、泣いている。 母親の象はいない。父親の象もいない。 あの小象が唯一慕っていたのは象使いだけだった。 けれどその象使いも前の舞台で芸に失敗し、やめさせられた。だから小象はひとりぼっち。この大きなサーカスのテントで一人で真ん中に立っている。 パオーン、パオーンと泣く声が切ない。 不意に小象が立ち上がった。 のそりと前片足を地面につけ、もう一方もドシンと地におろす。何かを探すように周りを見渡してから、突然客席に突進した。客席にいた人間たちは驚いて逃げ惑う。象は自分につけられていた鎖を破って、暴れまわる。 暴れまわって、パオーンパオーンと泣く。大きい声で何度も何度も。 あれは呼んでいるのだ。 象使いに会いたいと、会わせてくれと魂の奥から叫んでいるのだ。 ――ああ、そうだ。 ――あの象は安曇なのだ。 夢から覚めると、目の前に制服姿の安曇が立っていた。 心配そうに俺を覗き込んでいる。 「なんだ、もう学校から帰ってたのか」 時計を見ると、5時過ぎていた。学校から走って帰ってきたのだろう。部屋の隅に学校のかばんが投げ捨てられていた。 「先生、寝ながら泣いてた……」 言われて、目元に手をやった。言われれば分かる程度に、ほんの少し濡れていた。 「昔観た映画の夢を見ただけだよ」 そう答えると、安曇は不思議そうな顔をした。 正確には昔観た映画に似た夢だ。昔見た映画はアニメーションの映画だったと思う。母象を探して、小象がサーカスから抜け出し、町をめちゃくちゃにする話だった。人間達に捕まえられそうになる度、怖い思いをして、それでも捕まりたくなくて逃げ惑う。 最後には、やっと探し当てた母象が小象を優しい笑みで迎えるのだ。 母親の歌う子守唄の音楽で小象は安らかに眠りにつく。 ずっと忘れていた映画だ。小さい頃に見て、そのままどこかの記憶の引き出しにしまったままだったらしい。安曇が変な気を起こしたせいで、どうも頭の中がまぜこぜになり、間違えて出てきてしまったようだ。 「学校は楽しかったか?」 まるで小学生の親みたいに安曇に聞いてしまった。ただ、一日中裸で過ごさざるを得なかった男がそんなことを言っても滑稽なだけだろうが。 安曇はソファにドスンと落ちるように座った。 小さく首を振る。 「先生、おかしいんだ。僕は先生を強姦して、監禁して、全然普通じゃなくって、異常な変態なはずなのに、学校にいるとまるで普通の生徒なんだ。それってなんかおかしいよね?」 「……それの何がおかしいんだ?」 俺は慎重に尋ねた。 「だって、僕は犯罪者なのに……」 俺を拘束する手錠がきらりと光る。 犯罪者。あぁ、犯罪者だ。そうだとも。 俺を拘束するこの銀の手錠が何よりの証拠だ。 俺を強姦して、拘束して、監禁して……。 けれどさっきの夢が頭から離れない。 もし象が暴れて、町をめちゃくちゃにしてしまったとしても、もし自分が母親象なら。 俺を求めすぎた故に、そこまで暴れてしまったというのなら。 自分をやっとの思いで探し当てた我が子を俺は叱るのだろうか? お前など知らぬと突き返すだろうか? 俺は小さくため息を突いた。 だって無理だろう? 俺は結局この泣き虫坊主を出来が悪くても可愛いと思っているのだ。 可愛い可愛い教え子だと今も思っている。 俺は安曇をまっすぐに見据えると、口を開いた。 「俺がお前を犯罪者にするわけないだろう」 「え」 安曇は意味が分からないという顔だ。 俺はもう一度大きく息を吐いた。安曇も神妙な顔で俺を見つめた。 「安曇、今度はちゃんと口で言うんだ。そうしたら許してやるから」 安曇が表情をハッと変えた。俺の瞳を真っ直ぐに見据える。 俺は促すようにもう一度口を開いた。 「……なんでこんなことをした?」 一言一句はっきりと発声して、俺は安曇にそう尋ねた。 安曇はひどく驚いた顔をして、そしてその後、ズンと顔を暗くさせた。俺はそんな安曇から一瞬たりとも目をそらさずずっと彼を見つめ続けた。 しばらくして、観念したように安曇がぽつりと言った。 「だって、貴方は犯罪に走らないと手に入らない人だと思っていた」 安曇の頬を水滴が転げ落ちる。 俺は、目の前にいるそのひどく落ち込んだ高校生をなんて馬鹿な奴だと心の中で思った。 だって、俺なんてただの普通の人間なのだ。 いたって普通の男。何の特別さもなければ、関わって何か得するわけでもない。 なのにお前はまるで俺が高嶺の花であるみたいに言うんだな。 「だって貴方のその普通なところが僕にとっては何にも変えがたい安らぎだもの」 安曇の言葉は閉じ込められた小鳥の歌声のように切なくて心許無かった。 安曇はそのまま静かに続けた。 ――先生、僕は同情されるのは好きじゃないんだ 静かに話す安曇の声はそのまま消えてしまいそうなくらい儚い。 俺が今聞いていてあげないと、彼の存在ごといなくなってしまいそうだ。 ――だって同情する人ってみんな勝手に大げさにして、それでその妄想の中で俺を可哀想だと思いこんでるでしょ? 本当の僕なんて見ていないから。 僕はもう高校生になるけど、今までいろんなことがあったよ。 昔、母親の事件のことがあったからいろいろ言われ続けてきた。 父親はいつのまにか僕のことなんか忘れたようにどこかにいなくなってしまった。 周りの人は僕を可哀想にと哀れんだよ。 けど、可哀想可哀想って言われるのはその一言で済まされている気がしてしまうんだ。 いろんな大変な事もあったけど、それを強がる気持ちだって僕にはあるんだ。 その強がる自分を無視して可哀想と言われるのもそれはそれで悔しいんだ。 だけど先生の言葉はストレートだった。 先生が僕を可哀想って言った時、それはそれ以上でもそれ以下でもなかった。 大変だったなって頭をなでられて、それ以外の意味なんてなかった。 あの時先生はちゃんと僕を見てくれていた。 それが嬉しかったんだ。 先生は決して可哀想の一言で片付けなかった。 僕みたいな面倒な奴に普通に接してくれて。 可哀想って言いながら一緒に買い物してくれて、ご飯食べてくれて……。 「先生、どうしよう。僕はこんなにも先生が好きです」 最後の告白だけが突然大きくなった。 耳の奥までジンジンと響くくらいに確かな声で安曇は言った。 俺は右手で胸を押さえた。 まいったな。胸が苦しい。逃げられない。 でも安曇にこんなにも心からの気持ちを吐露させたのだ。 自分だけズルなんていけない、と俺が俺を叱咤した。 俺が手をさしだすと、安曇は虚ろな瞳でこちらを見た。おいでおいでと手を揺らすと、安曇は餌につられるようにしてこちらに寄ってきた。 触れられる位置まで来て、俺はようやく安曇の頬を撫でた。 「最初からそう言えばよかったんだ」 安曇は首をフルフルと振った。 「だって先生はきっと拒否したでしょう?」 「そんなん分かんないよ」 だって胸がこんなに苦しいのだ。 安曇の言葉が俺の中に深い根を張っていく。 これを引っこ抜くときっと俺ごとダメになってしまう。 俺は安曇の顔を自分の腕の中に引き寄せた。 「……先生?」 安曇の声はわけわからないという声音で、それが一層いとおしい。 「普通に一緒に買い物したり、ご飯食べたり、風呂入ったりさ」 俺が口を開くと、安曇がぴくりと頭を揺らす。安曇がそろりと頭をあげると、目がぱちりとあった。俺は笑みを浮かべて言った。 「俺がお前を普通に幸せにしてやるよ」 言った瞬間、安曇の瞳からぽろりと落ちた。 その後、目が溶けてなくなりそうなほどのものがボロボロとあふれ出す。 「……先生、僕を許してくれるの?」 「おう」 安曇が涙を自分で拭こうとしないから、俺が手で涙を拭いてやる。その涙が流れていた場所に唇を落としてやる。 安曇は嬉しそうに目を細めた。 「僕を幸せにしてくれるの?」 子供かと思ったら今度は少女のように聞いてくる。 「まかせておけ」 「あは、先生、男らしいや」 泣きながら安曇はやっと笑った。1日ぶりの笑顔だ。 俺は安曇の頭を抱えたまま、「うりゃっ」と声をあげながらきつく抱きしめたり、右や左に振ったりした。安曇は嬉しそうに「やめてやめて」と声をあげた。安曇の楽しそうな声を聞きながら、俺は密かに口の両端を上げた。 ――おっと、これから楽しいだけだと思うなよ? 心の中で俺はまた家庭教師モードに戻っていた。 何故なら安曇は悪い事をしたのだ。一歩間違えれば、というか犯罪そのものだ。 悪い事をした者には罰を与えないといけない。 ――とりあえずケツを100回叩こうか? 俺がそう呟いたのを俺の腕の中にいた安曇は多分、知らない。 安曇は今、俺が彼を抱きしめている体温しか感じていないだろうから。 安曇は夢見心地な顔でずっとしまりの無い顔をしている。 「先生、ゆりかごみたい」 俺の腕で作ったゆりかごに揺られながら、安曇は子供のようにそう言って笑った。 おわり 泣き虫坊やの暴走ヘタレ攻めでした。とりあえず尻穴神聖化のくだりが書きたかった……(笑) written by Chiri(12/20/2008) |