世界一おいしい恋人 俺が俺と英二の愛の巣に帰ると、そこにはなんともいえぬ熱気に包まれていた。 モクモクと煙っている台所に見慣れたシルエット――俺の恋人の英二だ――が、エプロンを身につけて俺の方に振り返った。 「あ、おかえり、時雄」 なんとも眩しい笑顔。 一瞬で仕事の疲れも吹っ飛んだ。且つ、明日への英気を自動的に養ってくれる。 断言しよう。俺の恋人は可愛いのだ。 俺の恋人の名前は高坂英二。こんな風に普通に料理をしているが重度の身体障害者……らしい。 俺にはよくは分からないが世の中にはいろんな病気があるらしい。そんな中でも稀すぎる病気にかかっているのが俺の恋人だ。人間の体液が全てチョコレートになってしまう猪口冷糖病。なんだ、その夢みたいな病気は、と最初は思った。だって、俺チョコレート大好きだもん。俺の体液がチョコレートになったら、骨と皮になるまで自分の体液を吸い尽くすだろうなって思っていた。 けれど、その冗談のような事を俺はかけがえのない恋人にしてしまった。 英二の体が作るチョコレートは何よりも美味しい。 甘みとか苦味とか旨みとかまろやかさとか高級感とかハーモニーとかそういう言葉じゃ言い表せない。なんていうか俺がこれまでもこれからも一番大好きだと宣言できるような味。俺が今まで食べてきたチョコレートをチョコレートと呼べなくなるような。それくらい美味しかった。 けれど俺が英二の血を吸い続けたせいで英二は倒れて病院に運ばれた。 俺は軽く思っていたのだ。それこそ英二の体はチョコレートを無尽蔵に作る事ができる人智を超えたもののように思っていた。 けれどそんな極上なおやつは英二の大切な血液だった。血液を吸い続ければ、そりゃ人間なんだ。貧血にもなるし、体が弱るに決まっている。そんなおやつに目がくらんで一番大切な人を失いそうになった俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。 神様も俺を馬鹿だと罵った。 英二は幸い、ただの貧血だけだったけど、俺は糖尿病になった。猪口冷糖病の血液は栄養価が高いらしい。高すぎるらしい。 俺は世の中の甘いものを食べられなくなった。 甘いもの好きな俺にとって地獄のような毎日。でも英二の笑顔が俺の住む地獄を天国に変えてくれる。 安いもんだ。おやつなんて食べない方がいつまでもスマートでダンディでいられるさ。英二を失うくらいなら糖尿病なんて簡単な試練だ。 そう思えるようになった。 けれど、この試練を俺は乗り越えられるだろうか? エプロンをつけた英二はオーブンから何かを取り出した。 俺は英二が持っているものより先に英二のうなじに目が入った。やはりエプロン姿はそそるな。エプロンつけたまま、ちょっとずつ服を剥いていきたいな。よし、今度台所でもエロいことしよう。 そう決意した瞬間、やっと英二の持っているものに気がついた。 「それ……何?」 つい、未知の物体を発見したような顔をしてしまった。 しまった、英二は少し拗ねた顔をした。 「何って……シフォンケーキだけど……」 うん、それはなんとなく分かるよ。なんとなく。けど。 「シフォンケーキって青かったっけ?」 英二は口をつぐんだ。困ったように俯くと、ぽつりと口を開いた。 「……あのさ、時雄」 英二はそのシフォンケーキをキッチン台の上に置いた。 もじもじとしながら、居間の方を指差す。俺はその方向を見た。 「他にもたくさんあるんだ」 「え!?」 俺は居間に飛び込んだ。 見慣れたテーブルの上には色とりどりの……シフォンケーキ。 緑色、紫色、黒色、茶色……なんだかグロテスクな色合いだ。 なんだこの、――食欲のそそられなさは。 うん、やはり気のせいじゃない。これら全部まずそうに見えるぞ。テーブルの上だけが地獄の給食に見える。 後ろから英二がさっき焼いたばっかりの青のケーキを持って、居間に入ってきた。青いケーキもその豪勢でげっそりするシフォンケーキ群に加えられた。 「あのさ、時雄って、今日……」 「え?」 「――誕生日じゃないの?」 少し不安そうに英二が聞いてきた。 俺はハッとして、頭の中でカレンダーを起動させた。ペラペラとめくって今日と言う日を探す。 「あ、そうだ」 今日は俺の誕生日だ。 俺が答えると、英二が「良かった、あってて……」と可愛い笑みを浮かべた。 英二はエプロンをはずすと、「座って」と笑った。俺がテーブルに着くと、英二も向かいに座った。 「誕生日なのに、誕生日ケーキが無いのは駄目かなって思って作ってみたんだ」 「へぇ」 英二の言葉に俺は苦笑を浮かべた。 ということはこれは全部俺宛てか……。 「シフォンケーキくらいなら糖尿病でも食べてもいいかなって思ってさ」 英二は照れたように慎み深い笑顔を浮かべた。 英二の顔だけ見ていれば、テーブルのケーキには目が入らない。ここはやはり天国だ。 「食べてみてよ」 天国の住人の言葉に俺は冷や汗をたらした。 おいおい。キラキラした目をしてとんだ脅しだ。 こんなまずそうなものを……いやいや、食べてみなくては分からないよな。きっと納豆を初めて食べた人も同じ気持ちだったんだ。チーズを初めて食べた人だってきっとそうだ。 俺はフォークで、英二によって切られたシフォンケーキの角だけ切り取った。それを口に運ぶ。まずは緑色の奴からやっつける。 「……」 口に入れた瞬間、ブワッと何かが広がった。野菜独特の青臭さ、そして苦味。噛むほどに粘つくこの触感。時々種みたいなの入っている、これは。 「オクラとピーマンと……キャベツと……」 思いつくままに口にしていくと、英二がわぁっと声をあげた。 「すごい!なんで分かるんだ?」 「……なんで英二君は野菜ベースにしちゃったのかなぁ?」 オクラの糸を引きながら、質問した。 「どうせなら健康に良いシフォンケーキにしようと思って」 英二はニコニコした顔でそんな事を言う。 「おいしい?」 「……うまいよ」 期待を込めた顔でそんな事を言われたらそう言うしかないだろう。 英二は嬉しそうに「やった」と呟いた。昔、父さんが言っていた。嘘も方便だって。なるほど、大人の言うことは本当だ。 「じゃ、今度こっち」 と渡されたのは青いケーキ。 「今度は何入れたんだ?」 「内緒」 ……教えろよ。心の準備ができないじゃないか。 仕方なく、またフォークを突き刺す。思わず切って中を確かめてしまった。よし、不審なものは入っていない、と。 と、そこで良い香りがした。果物の甘酸っぱい香り。 「あ、分かった。これ、ブルーベリーだろ?」 「え、嘘!なんで分かるの」 英二は驚いて俺を見た。 英二のその顔を見て、心が和んだ反面とんでもなくホッとした。ブルーベリー味なら普通のおいしいシフォンケーキだろう。 英二は相変わらずニコニコとした顔で俺を見てきた。 「あのさ、ちょっと隠し味いれて大人味にしてみたんだ」 「ふぅん」 期待大だ。俺はフォークを突き刺すと、かけらを口に運んだ。うん、良い香り。 香りごと口の中に入れてしまうと、ブルーベリーの甘酸っぱさが舌の上で転がった。うん、これはおいし…… 「……なぁ、英二、俺隠し味分かったよ」 俺がそう言うと、英二が目をパチパチとさせた。 「え、嘘」 英二はまるで俺が一級の料理人か料理評論家かのような目で俺を見つめる。期待がこもっている目だ。英二はよくこんな顔で俺の事を見ている。 俺はそんなに良い男じゃないんだけどな、と俺は心の中で呟いた。 そう、このケーキの隠し味は…… 「俺への愛情だろ!」 「やだ、時雄、何言ってんの!」 快活な笑い声と一緒に肩をパシーンと叩かれた。俺はゴホゴホッと咳き込みながら、自嘲気味に口端を上げた。 違う、そんなことを言いたかったんじゃない。 俺はただ、 隠し味はワサビだろうって、言いたかったんだ……。 この口か!この口か! 嘘を吐くこの口が恨めしいと思いつつもその後もその口で海苔と黒ゴマの黒いケーキ――意外においしかった、もむしゃむしゃと喰った。その勢いで茶色のケーキも紫色のケーキも俺の胃の中に次々と放り込まれた。 テーブルの上のケーキが全部なくなると、俺は20くらい自分のレベルが上がったかと思った。今まで抱えていた心配事が嘘のように小さく思えた。分かってるさ。これは神に愛を試されたんだ。そして俺は勝ったのだ。 心の底から宣言していい権利をもらったわけだ。 俺は英二を愛してる、と! そんなわけで、敵を倒した俺には御褒美が与えられるというのがお約束だ。 俺はいそいそとテーブルの椅子にかけてあったエプロンを後ろ手で掴んだ。そのエプロンを見て、俺は内心ワクワクとしながら呟いた。 「さぁて、それじゃ、最後のごちそうをいただくとするかな」 テーブルを片付けていた英二は「え」とこちらを向いた。目があうと、俺のほうが驚いた。英二、何だその顔。何か俺、変なこと言ったか? 英二はその傷ついたような顔を俺から見えないように俯けた。 「……だめだよ。俺の血はもう舐めちゃだめって先生、言ってたじゃん」 その言葉に今度は俺が衝撃を受けた。 さっきまで鳴っていた勝利の鐘も途端にとまってしまう。俺はまだ英二から信用されてないのだ、と今やっと気付いた。 それだけのことを俺は英二にしてしまったのだ。 分かってる。俺の言い分なんて勝手なものだ。けれど。 「英二、今のは俺も傷ついたぞ」 「え、何が?」 分かろうとしない英二の手を引き寄せて、俺は英二の背をテーブルに押し付けた。その両手を取ると、俺はそれをひとまとめにした。 英二は意味が分からないといった風に俺の顔を見ていた。馬鹿だな、英二。今から教えてあげるよ。 「あーあ、せっかく着せてやろうと思ってたのに」 手の中に隠していたエプロンで英二の手を縛り付けた。英二が「え」とまた口を開いた。 俺が英二の体をテーブルの上に乗せると、英二は不安そうにこちらを見た。 「な、何するの?」 「ごちそうはしゃべらないんだぞ?」 冷たく言ったら、英二が泣きそうな顔になった。 「舐めちゃ、だ、ダメだって」 「なぁ、俺ってそんなに信用ない?」 「あっ!」 股間に触れると、英二がびくりと体を揺らした。手でファスナーをおろすと、英二が「だ、だめ……」とか細く泣いて足をバタバタとさせた。 「やめるかよ」 前をやんわり手で握ると、英二が「あぁ……」と声を出した。 「かわいい」 先の方が濡れてくる。きっとこれは甘い甘いチョコレートだな。けれど、俺はそれに口はつけない。英二の可愛らしい反応の方がよっぽどの俺の胸を満たしてくれる。双丘を割って唾液を絡ませた指先を入れると、英二が目をつぶった。首をいやいやと振るが、そんなのかまいやしない。一本、二本と指を増やしていくと、英二が縛られた手で俺にしがみついてきた。 俺はその手をやんわり外すと、英二の服をたくしあげて、突起を探り当てる。左手で押しつぶしたり、はじいたりしていると英二が小さく震えた。その突起を口に含んで、舌で押しつぶす。 「最高においしい」 「嘘、そんなとこがおいしいわけないって」 だってそこはチョコレートじゃないのに。と英二が言いたげだった。 英二は自分がそれだけの存在だと思ってるのだろうか。 そんなわけあるもんか。 「馬鹿、おいしいよ」 英二の首筋を優しく噛んだ。 「ここもおいしい」 強く吸うと英二が「あ、ぁ……」と泣いた。額がほんのりと汗ばむ。それは極上のチョコレートだろうだけど俺はやはりそれは舐めない。 だって英二は英二のままで、最高においしいんだ。 「な、入れてもいい?」 「え、ちょ、ま、待――」 「ダメ、待たない」 英二の体を後ろにしてグイッと腰を進めると、英二が口を開けて声の無い長引いた声を出した。 英二の愛しい声を聞きながら俺は、美味しいって満たされる時に使う言葉なんじゃないかな、と思った。 もしそうだとしたら、英二、お前は世界一美味しいよ。 猪口冷糖病とかそういうのは一切関係なく。 だって、世界一俺を満たしてくれるじゃないか。 「な、英二」 潤む英二の顔を覗き込む。英二が色っぽい顔で俺を見た。俺はにやりと笑うと、指を俺と英二が繋がっている所に置いた。 「お前のここ、俺のを食べてるみたい」 カッと英二が顔を赤らめた。 「な、俺のはおいしい?」 耳元で聞いてみると、英二が手をぴくりと動かした。 もし美味しいって言われたらちょっとくらいは猪口冷糖人間の気持ちも分かるかな?と思って聞いてみただけだったのだけれど。 「……ううう、うるさい、この変態っ!馬鹿、アホッ!」 可愛い恋人は真っ赤になってそう叫んだだけだった。 俺はその恋人がどうにも可愛くなり、顔を横に向かせて軽いキスをした。 世界一おいしい恋人へ 本日も御ちそう様でした。 おわり 36様からイラストをいただいたので調子に乗って二人のその後を書いてみました。なんか……やりたい放題な感じに。 written by Chiri(9/7/2008) |