ブギー



「最近、変質者が学校周辺を徘徊しているという情報がありました。皆さん、下校時はできるだけ集団で帰ってくださいね。」



担任の言葉を聞いて、僕はアイツの顔を思い浮かべた。

変態も何も変態の中の変態だ。奴の名前は五嶋紀一!!
実際訴えられるような事はまだされていないけど、アイツの脳内では僕が絶対むちゃくちゃにされている。時々ぼぉーっとしている顔はアレだ、絶対僕で妄想している。妄想罪っていう刑罰があれば間違いなく奴はその道の第一級犯罪者だ。
まぁ、それが本気で死にたくなるくらい嫌、というわけでもないから困ってるんだけど…。

ともかく僕は担任の言葉を聞いて、確信していた。
変質者って絶対アイツのことに違いない。


だからその日、すぐさまアイツのアパートに行って、僕は早速忠告してやった。
「変態!学校の周りをウロチョロするのやめろよ!」
僕は五嶋紀一を変態と呼ぶ……のだが、変態は僕の言葉を聞いてないのかじっと僕の顔を見てきた。
「何だよ?」
「……希、今日も可愛いな。」
まるでそれが再会の度に必要な儀礼のようにウットリした顔でそんな事を言う。俺は変態の足を踏んづけてやった。
「きもいんだよ、犯罪者!」
「……犯罪者?」
変態はやっと僕の言葉に耳を傾けたようだ。
「そうだよ!捕まっても知らないんだからな!」
僕が脅すように変態をけしかける。だけど顔を見てみれば、何の危機感も持っていない。緩みきった顔で、きっとこれはまた妄想している。
「希のミニスカポリス…。」
って口に出しているし!!
「変態変態ド変態!!変態キング!!」
「希のことならいくらでも変態と呼ばれて構わないな。」
「馬鹿きもい最悪!」
わーわー罵りまくったが、結局変態を喜ばすだけだった。
結局、会話にさえならなかった。
でも、変質者は絶対コイツのことだ。っていうかコイツ以外いない!!
口をとがらせていると、変態が僕の口を指でつまもうと両手を繰り出してくる。もうっ!うっとおしいな!!
こんな奴、一回捕まってしまえばいいんだっ!!

まぁ、それは……冗談だけど。

そうだ、捕まったら困るんだ、僕は!
「……変態、捕まって僕の世話しなくなったら怒るからな。」
俺がそう言うと、変態はニッと笑った。
「姫様は我儘だな。」
そう言って僕の手をとって甲にキスを落とす。
それくらいならいいかな、と思っていると指をしゃぶられた。つくづく調子にのりやすい奴だ!
「やめろ!きもい!!」
本当に変態はなんていうかどこまでも変態だ。
舐めるにしても、指の先から指と指の間の水かきの部分を丹念になめ回してくる。僕が恥ずかしいようにわざとブチュブチュ音を立てて唾液を垂らして来る。
「希の汗の味がする…。おいしい…。」
「死んじゃえ、馬鹿!!!」
涙目で怒鳴ったら変態は笑っていた。
本当にこの人間は何も分かっていないのかもしれない。
僕はこんな変態、どうなってもいいんだ。
だってこいつは犯罪者だ。
最初は僕のストーカーをしてて、でも僕は両親が共働きで僕に無関心だったからちょっと嬉しくて、適当に遊んでやろうと思ったんだ。僕の言う事何でも聞いてくれるし、僕の事誰よりも好きとか言うし、僕のことトクベツって言ってくれるし…。
別に好きになったわけじゃない。
こんな変態、僕が何で好きになるんだっ!
でも、多分なんだかんだでずっと一緒にいるようになったから、きっと愛着がわいたんだ。
愛着。うん、愛着。それ。
それ以上の何でもない。






僕は登校する時、必ず同じマンションに住む隣部屋の女の子を迎えに行く。
「おばさん、サツキちゃん迎えに来ました。」
インターホン越しにそう言うと、扉がカチャリと開いて、おばさんとサツキちゃんが顔を出す。
サツキちゃんは僕の幼馴染だ。小さい頃は全く気付かなかったけれど、サツキちゃんは知能障害を煩っているらしい。といっても他の人と大体同じことができるんだけど、ちょっとだけ会話が遅かったり能力の遅れがあるだけだ。
「希君、いつもありがとうね!ほら、サツキ!希君が迎えに来てくれたからもう行かないと!」
「うん、でも、ティッシュが見つからないの…。お花の匂いがする奴。」
サツキちゃんはさっきまで泣いていたのか、涙を服の袖で拭っていた。
サツキちゃんは時々駄々をこねる。学校に行きたくないわけではないみたいだけど、サツキちゃんの中にはこだわりがあって、それが満たされないと子供みたいに癇癪をあげる。
「でももう時間だから行きなさい!サツキ!」
「やだ!お花の匂いのティッシュ!」
この母と子供の押し問答だってよく耳にする会話だ。
僕は時計を見て、遅刻しちゃうと思った。仕方なく僕は学生かばんからティッシュを出すとそれをサツキちゃんに渡した。
「サツキちゃん、そのティッシュあげるよ。石鹸の匂いがするんだ。いい匂いでしょ?」
「あー本当だ!いい匂い!」
「お花もいいけど今日は石鹸の匂いの日にしようよ。」
「うーん…。分かった!」
サツキちゃんは簡単に笑顔になった。それに僕も笑顔を返す。
サツキちゃんは困った子だけど悪い子じゃない。とても純粋で僕を優しい気持ちにしてくれる。例えるなら天使みたいな子だ。顔も可愛らしくて中身は誰よりもピュアだ。例えじゃなくても天使って言っていいかもしれない。
サツキちゃんのおばさんはいつもごめんね、といいながら僕にお礼を言った。僕はそのお礼を受けとめて、サツキちゃんの腕を握って、学校に行く。

小学校の時はサツキちゃんのおばさんがサツキちゃんの送り迎えをしていた。
けれど中学生になって、サツキちゃんを一人で学校にいかせる事にしたらしい。過保護になりすぎるのはサツキちゃんの将来のためにもよくないと思ったそうだ。それに口を出したのがうちの母親だ。
サツキちゃん一人で行かせるのが心配だったら、うちの希と一緒に登校させれば良いじゃない!
それは名案ね!という風に二人で盛り上がって僕は中学生になってからはサツキちゃんと登校して下校することになったのだ。

正直に言おう。
僕は中学1年生の割には随分しっかりしていると思う。
両親がどちらも共働きで普段から一緒にいない、というせいもある。家事は結構できる方だ。
それに隣のサツキちゃんの面倒を昔から見ていたことも理由の一つだろう。いつのまにか人の面倒を見る事にも慣れて行った。
中学生になってからは、母のお腹が大きくなった。まさかと思っていたら、弟ができるのだ、と教えてもらった。母は動ける時まで働いて、いざ出産する頃になると実家の方へと帰って弟を産んだ。僕は今度は本当にお兄ちゃんになってしまったのだ。今までもそうだったけど、これからも人の面倒を見て、生きていくんだ。
初めて見た弟はすごく可愛かった。それはもう変態の紀一ではないけれど、頬擦りしたいほど可愛かった。けれど、やっぱり元々は自分は一人っ子気質なのだと思う。
どこかで誰かに精一杯甘えたいとずっと思っていた。
人の面倒を見ることは嫌いではないが、気負うものが多かった。僕は世話好きとかが根っからの性格ではないのだから、やはりどこかで我慢している分もあったんだ。
だからかもしれない。
紀一が僕の居場所になったのは。






中学校から家に帰る途中、サツキちゃんと手を繋いで歩きながら、僕はうーんうーんと考えていた。僕がそうしている横ではサツキちゃんは嬉しそうに道端の雑草をむしりながら、鼻歌を歌っていた。
サツキちゃんはちゃんと見ていないとどこかにいなくなってしまうので、僕達はいつも手を繋いでいる。それを囃す幼稚なクラスメートも中にはいたけど、大体が事情を察してくれる。
けれど、この事を紀一には言ったことは無かった。
考えていたのはその事だ。
(…アイツ、なんで僕とサツキちゃんのこんな姿を見ても、何も言わないのだろう?)
絶対怒ると思ったんだけど。
けれど変態はその話題に触れたことは無いのだ。
きっとどこかで僕のことをつけまわしているから知っていると思うのに。
そこではたと気付いた。
(もしかして、本当に知らないのだろうか?)
そういえば最初の頃は、毎日のように変態に追い回された。振り向けば奴がいる、なんてのは当然で。それを見て僕は何故か安心していた。あの執着心が愛情そのものに見えていたから。
けれど変態の家に居付く様になってからは、変態は僕の事を追い回すのはやめたようだった。僕がいつもやめろよ!と怒っていたからかもしれない。けれど今までの変態行為を考えればそんなんで断念する変態とも思えない。
つまり。

「僕に飽きた……なんて……。」
「どうかしたの?のぞみくん?」
「あ、なんでもないよ。」

サツキちゃんに心配させないように笑ったが、僕の意識はずぅんと暗い淵に沈んでいった。
思えば、変態が僕を好きじゃなくなる可能性なんていくらでも考えられる。
だって世の中には僕よりも可愛い男の子なんてあふれかえっているのだ。
そして何より。アイツは変態の中の変態なんだ。
僕が古株になってしまえば、きっともっと新しくてピチピチした少年を求めて練り歩くに違いない。
そう思うとそうとしか思えなくなってきた。
そもそも僕と紀一を結ぶ絆なんてものは薄弱なものだ。
だって恋人ではない。僕が好きなわけでもない。アイツが一方的に僕のことを狙っているだけだ。
例えば普通のカップルを結ぶ絆が何重もの細糸を頑丈に縒ってあるものだとすれば、今の僕と紀一の関係は千切れる前のか細い一本の糸のようなものだ。
それを切ることなんて造作も無い事だろう。

少し前に取り戻したはずの自信が簡単に抜けていってしまう。
まるで炭酸の泡が抜けるように、いとも簡単に。

(あの時、僕のことトクベツって言ってたのに…)

無意識に繋いだ手に力が入ってしまった。
「いたいよ、のぞみくん!」
サツキちゃんが小さくうめいた。
「あ、ごめん。サツキちゃん。」
僕が謝ると、サツキちゃんは不思議そうな顔になった。
「どうかしたの?のぞみくん、…泣きそう。」
「そんなことないよ!」
慌てて否定するけど、サツキちゃんは首を傾けたまま僕の顔をじっと見つめてきた。
「のぞみくん、なんか悩み事あるの?サツキお馬鹿だけどお話聞こうか?」
「え!大丈夫だよ!悩み事なんて何も無いもん!」
「うそ!のぞみくん、嘘ついてる!」
「え?なんで?」
「だって、サツキね…。この間、変な人にのぞみくんのこと、きかれ――きゃっ!!」

サツキちゃんの言葉を最後まで聞けなかった。
見ると、大きな手がサツキちゃんの口をふさいでいた。
僕はその手の主を見上げた。

大きくとでぶっとした体型。そんなに背は高いように思えなかったけど中学生の僕らと比べるとまるで大きくて。顔はひどく歪んでいた。なんていうか人間じゃないみたい、何かの動物みたいな顔だった。
「やぁっと見つけたサツキちゃん!!ハァハァ!!」
くぐもったような気持ち悪い声が発せられる。

僕は驚きで目を見開いた。
(本物だ!)
担任が言っていた変質者は紀一ではなかったのだ。
(本物の変質者が別にいたんだ!!)

僕は慌てて周りを見渡したが誰もいない。不運な事にそこは住宅地でもない、工事現場と林に囲まれた道だった。まさに変態にとっては絶好な襲い場所だ。

男は一方の手でサツキちゃんの口をふさいでいて、もう一方の手でサツキちゃんの両手をひとまとめにして後ろで掴んでいた。
「可愛いなぁ、サツキちゃん…。ずっと探してたんだよぉ、あー可愛いなぁ可愛いなぁ。僕の天使!」
サツキちゃんはモガモガと何かを言おうとしていた。
僕はそれを見て、硬直した。
(助けなきゃ…っ)
そう思うが、体が上手く動かなかった。
助けなきゃ。だって僕は男の子だ。サツキちゃんは女の子なんだ。今までだってずっと支えてきたじゃないか。僕は助けないといけないんだ。だって僕はっ。
体が震えていた。
男なのに馬鹿みたいだ。
(変質者って怖いんだ…)
紀一はこんなに怖い人間じゃなかった。いや、本当はこんなに怖い人間だったんだろうか?でも僕はそれに気付かなかった。それに、それはもう今更な話だ。
けれど今、僕はサツキちゃんを助けないといけない!

「サ、サツキちゃんを放せ!!豚野郎!!」

僕の震えた言葉を聞いた男はグルンと顔を回して僕を見た。
そして口元を引きあげて、醜い笑い方をした。
「なんだぁ、もう一人いたんだ?サツキちゃんがかわいすぎて気付かなかった。でもあいにくぼくはショタではないからね。君には興味は無いんだ、ごめんねぇ。」
「きもいこと言うな!警察呼ぶからな!」
「ふぅん、じゃ、その前に君のことは殺そうかな?」
ゾクリとした低い声に腰がぞぞっとなった。
「そ、そんなことできないくせに!」
「できるよぉ〜、僕、ちゃんとナイフももってるもぉん!」
男は嬉しそうにナイフを懐から出した。
本物だ。角度によってキラリと光った。先がカーブを描いて細くなっていく、砂漠の盗賊が持っていそうなナイフだ。
僕はサッと青くなった。ナイフなんて父親が持っているペーパーナイフ以外で見たことが無かった。
「君、いつもサツキちゃんと手つないでた奴?そうだね、じゃぁ、目障りだなぁ。よし、殺そう。僕とサツキちゃんの世界に君はいらないよ。」
ブツブツと言う男の言葉に僕は後ずさった。
だって大人の男だ、相手は。それにナイフを持っている。怖い。怖い怖い!
けど僕はサツキちゃんのことをちゃんと見てるように親から言われている。サツキちゃんのおばさんも僕がサツキちゃんを家まで送ってくれることを当たり前に思っている。
僕はサツキちゃんを取り戻すまで逃げられないのだ。
体が震えてくる。
もうどうしていいか分からなかった。

「…………イチ……」

震えた喉の奥から言葉が漏れ出た。
こんな時にアイツの名前呼んでも仕方ないのに。

「はい?」
「紀一!!ばか!助けに来いよ!!馬鹿馬鹿変態!!」

僕は泣き叫ぶように喚き散らした。
男が一歩一歩近づいてくるのに、逃げるってことすら分からなくてただただ怒鳴り散らした。
男は突然の僕の大声に焦ったようだ。

「紀一紀一紀一!!早く来ないと許さないんだからな!!変態変態はやくしろよ!!!」
「君、静かにしないと本当に殺―――」

ドスッ!!

その瞬間、大きな鈍音が聞こえた。
僕が固まったままでいると、目の前にいた大部分を肉で包まれていたはずの人間はどさりと床に落ちた。
そして見上げると、変態がサツキちゃんを片手で抱いて立っていた。

いや、変態、じゃない。
本物の変態、じゃなかった方の、つまり紀一だ。

「大丈夫か?希!」

紀一の焦った声を聞いて、僕は全身の力が抜けた。
へなへなと地面に落ちて、けど視線は涙目のまま紀一を見つめていた。
紀一は床でくたばった豚を踏みつけて僕の側まで来ると、大きな腕で抱きしめてくれた。それはまるでやっと息をつける場所を確保できたようなそんな感覚だった。

「ぼ、僕っ…。」
「頑張ったな。希。いい子だ。えらい子だった。」

そう言って背中を撫でられて、僕はうわぁんと泣いてしまった。
紀一は何度も僕の背中を擦った。優しく、穏やかな紀一の手が嬉しかった。
わぁんわぁんわぁん。
ずっとずっと泣いて、声が枯れるくらい泣いた。
サツキちゃんが心配そうな顔で僕を見ていた。僕はやっと自分の情けない姿に気付いてそれが恥ずかしくて、なけなしの男のプライドを思い出した。
本当はもっと紀一に抱きしめていて欲しかったけど我慢して、そっと抱きしめられていた腕を離した。
「……もう大丈夫だから。」
「そうか。」
紀一は名残惜しそうに腕を戻した。そしてその下で転がっている男の両手を後ろで掴んだ。男は気絶したままだったが、それでもいつ起きるか分からない。
「そいつ、どうするの?」
「警察呼ぶ。」
そう言って紀一は携帯で警察を呼んだ。
その間、僕はサツキちゃんを宥めていたが、むしろ宥められていたようなもんだった。
「大丈夫だった、のぞみくん?」
「ん、大丈夫。サツキちゃんは?」
「私は平気だよ」
にこりと笑みを見せてくれてホッとする。この純粋な子が汚されなくて本当に良かった、と思えた。僕は守れたのだろうか。
紀一は電話を終えると僕に言った。
「希、すぐ向こうの道路に車止めてあるから、トランクから縄持って来てくれるか?」
「うん。わかった。」
僕は紀一のポケットから鍵をもらうと、紀一の車に縄を取りに言った。なんでそんなもん、持ってるんだろうと思ったが、車のトランクにはいろんなことに備えていろんなものが入っているものなのだろう。
そう思って、紀一の車のトランクをガサ入れした。
すると、まぁいろいろ出てきたわけで。

……。




「この変態野郎――――――――――!!!」

サツキちゃんと気絶したままの豚野郎と三人で待っていた紀一は僕の顔を見ると、しまった!という顔をした。
その理由は僕の手の中にあるものから分かるだろう。

紀一の車のトランクからはそれはまあいろんなものが出てきた。

ロープ、手錠、目隠し、布テープ、猿轡。

こんなもの持っているほうがおかしい。
持っている人間自体変態じゃないか!
つまり紀一はやっぱり変態なんだ!
知っていたけれど、やっぱり変態だったのだ!!

「紀一!なんでこんなもん持ってるんだよ!!」

僕が問い詰めると紀一は目をそらして、「いや、この間希に使おうと買った奴が…。」とモゴモゴ何かいっていた。僕!?僕に使うつもりだったの!?くそ変態!!!
僕はムカついて紀一を何発も殴ってから、「こんなもんいらないよな!?」と確認して、それらを全部豚野郎に装着させた。
紀一は何故かもったいなそうに「それ高かったのに…」とかなんとか言っていた。アホか!
結局、警察が来る前に豚野郎はドMな格好にさせられていて、20分後くらいに来た警察の人も目をまんまるくしてその姿を眺めていた。
僕たちは「あ、ロープとか手錠とか使い終わったら捨てちゃって下さい。」と言ってそのままの状態で豚を引き渡した。紀一はやっぱり残念そうな顔をしていた。
ちくしょう、ド変態め!!




その後、僕たち三人は警察署まで連れて行かれて、事情をいろいろと聞かれた。
それにしても紀一の嘘には全く脱帽だ。紀一曰く、見知らぬ中学生二人が変な男に絡まれているのを偶然見かけて退治したとの事だ。
僕と紀一が元々知り合いだったとかの部分は見事に無しになっていた。

「っていうか、紀一、それ嘘じゃんっ!!」

事情聴取が終わってから僕が紀一に詰め寄ると紀一は「さて、どうだろう。」とまるで爽やかな青年のような笑みを浮かべていた。

「だって、お前、僕のことまたどうせ…。」

ストーキングしてたんだろ?と言いかけたがその続きが出てこなかった。
そうだ、だっておかしい。
紀一が本当に僕のことをストーキングしていたら、豚に絡まれた時点ですぐに助けてくれたはずだ。けれどそう思うには時間差がありすぎる。

もしかしたら本当に偶然だったのかもしれない、と思えてきた。

他の少年をちょっと前の僕みたいに追いまわしていて、その途中で僕たちが絡まれているのを発見したのかもしれない。

だってそうじゃないとおかしいと思えることがもう一つある。
僕はさっきからサツキちゃんとずっと一緒に居る。
時々宥めるつもりで手を繋いだりもしている。
けれど、紀一は何も言ってこないのだ。

普通男が女の子の手を握ったりすれば、仲を疑うだろう。
けれど紀一は何も言わない。
何も言わないで相も変わらず爽やかに笑っている。

(……もう僕のことなんてどうでもいいんだ?)

そう思うと、また意識が暗くなってきた。
そんな僕に気付いていないのか、サツキちゃんはふと何かに気付いたようで僕の肩をつついてきた。
「あの…のぞみくん?このお兄さん誰?」
サツキちゃんの目を見ると、何故か何かにむっとしている表情だった。
指をさした方向には紀一だ。
僕は何と答えて良いか逡巡した。
さっきから紀一と馴れ馴れしく話しかけているので見知らぬ関係ではない事はもうばれているだろう。
僕がいろいろと考えているとサツキちゃんの方からまた一言追加された。
「サツキ、このお兄さん、あった事ある!」
「へ?」
「わ!」
何故かサツキちゃんの言葉に慌てだしたのは紀一だった。
僕は訝しげにサツキちゃんの言葉の真意を追う。
「え?いつ?」
「ずっと前よ!サツキにね、聞いてきたの!この男!」
「なんて?」
「お前は希の何だ?って!だからね、私ちゃんと答えたのよ!小さい頃からずーっと一緒にいて、のぞみくんは私の大切なお友達だって!!」
「そうなんだ…。」
「そうよ!だからサツキ、のぞみくんがね、悪い人に狙われていると思っててずっと心配してたの!だってこの人、すごく怖い顔でサツキにはなしかけてきたのよ!んーとね!はんざいしゃの目みたいだった!」
僕は目をぱちくりさせながら今度は紀一を見た。紀一は居心地悪そうに僕から目をそらした。
「紀一、サツキちゃんの、……そのこと、知ってたの?」
言外にサツキちゃんが知能障害である事もにおわす。サツキちゃんと話したのなら気付いたはずだ。
紀一は諦めたように項垂れた。その頭が頷く様子を僕は不思議そうに見ていた。
「知っていなかったら、俺がサツキちゃんをどうかしてたよ。」
「どうかって?なんで?」
「俺の希が他の女と一緒だなんて許せないからに決まってるだろ!!」
驚いて目を見開いた。
紀一は僕の様子に腹が立ったのか、口をとがらした。
「本当は嫌なんだからな。ただでさえ、俺の希が誰かと一緒に下校しているなんて……」
この際、「俺の」希という発言は聞き流していいこととするが。
僕は咄嗟に顔を俯けた。
赤い顔がばれたら嫌だと思ったのだ。
だって、僕は嬉しがっていた。紀一の好きがまだ僕に向いているってことに気付いてすごく嬉しがっていた。
顔を俯けたまま、再度聞く。
「……紀一、今日どうやって僕たちが危険だって分かったの?」
「言ったら、怒るだろ?」
「……怒らないから。」
紀一の気息が聞こえた。
僕はドキドキしながら返答を待った。しばらくの沈黙の後、紀一は諦めたようにやっと答えをくれた。
「よく、見てるんだよ。別にストーキングしてるわけじゃないからな。開放されている高いビルとかに登って上から双眼鏡使って…。」
「ストーキングじゃん。」
「悪いか。」
「悪くない。でも変態だ。」
僕は顔を俯けたままそう言った。
今日、初めて僕は紀一以外の変態を見た。
気持ち悪いと思った。怖いとも思った。あんな人間がこの世にたくさんいると思うと恐ろしいと思った。けれど紀一もまた変態なのだ。
でも紀一は悪くない変態なんだと思う。子どもみたいな発想だけど、そう信じたかった。
だって僕は紀一の言葉でこんなにも嬉しくなっている。ストーキングされて嬉しいなんて僕も落ちたものだ。
でも、涙がこぼれそうなほどに嬉しくなってしまうのだからもう手遅れだ。
絶対この嬉しくてでも涙が出ちゃうような顔は紀一には見せられない。見せたらきっとカメラのシャッター音がとまらなくなる。
変態の紀一には見せちゃいけない。

ふわりと頭を撫でられた。

紀一の手だってことはすぐに分かった。
紀一の声がすぐ近くから降りてくる。囁くような優しい声だった。
「サツキちゃんと一緒に居る時のお兄さんの顔している希も好きだからな。でも俺の前でめいっぱい我儘言っている希も大好きだ。」
「……うん。」
うん、としか答えられなかった。本当に涙がこぼれおちるのを我慢する事しかできなかった。
だって全部気付かれていたのだ。
僕が紀一以外では違う顔をしていたこと。紀一にだけ甘えていたこと。
さすが僕の変態!とでも賞賛を送るべきだろうか。
くすぐったいなぁと思った。自分の中身を知られる事はくすぐったい。体をくすぐられているように心もくすぐられているのだ。けれど同時に心地よい。自分の中でつっかかっていた小さい骨のようなものを一つ一つ抜き取ってもらうような気持ちだった。
大切にしてくれているのが実感できるのだ。

けれどそんな甘い時間もサツキちゃんの唸り声で忽ちに冷めてしまった。

「で!!おにいさんは結局何なの!?のぞみくんをいじめる悪い人だったらサツキ、許さないんだからね!!」

サツキちゃんの挑むような口調に僕はやっと顔を上げた。
見れば、サツキちゃんが可愛らしい目を逆三角にして紀一を睨んでいた。
そして紀一もそんな様子がおもしろくないのか無言で睨み返していた。
(おとなげないっ!)
僕がそう思っている最中に、紀一の口が不穏な動きを見せる。

「俺は、…希のこいび―――」
ぎゃーーーー!こいつ絶対変なこと言うつもりだー!
「ボディガードなんだ!!」

紀一の言葉にかぶせた僕の一際大きな言葉にサツキちゃんは目を大きくした。
「ぼでぃーがーど!!??」
「うん!僕が呼ぶとすぐ来てくれるんだ!そういうのボディガードって言うんだよ!」
「ふぅん、そうなの!?」
僕がうんうんと頷くとサツキちゃんは口を大きく開けて、目をパチパチと瞬いた。
紀一が恨めしそうな目で僕を見てきたのは分かっていたが、それには何も返さなかった。
「すごい!のぞみくんってぼでぃがーどがいたのね!すごい!」
サツキちゃんは見事納得してくれて、僕と紀一の周りを嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。紀一もそのサツキちゃんの可愛らしい様子に毒気を抜かれたのか、少し気の抜けた笑みを僕に向けてくれた。
僕もそれに笑みを返して、やっと安息した。

その後、サツキちゃんのおばさんとまだ赤ちゃんの弟を連れた僕の母さんが警察署まで迎えに来てくれた。
母さんたちは本当のことは何も知らないまま、悪漢を倒した爽やかなフリーター・紀一に何度もお礼を言っていた。
僕にあんな変態なことをしてくるのは紀一なのにね。
流石の紀一も罪悪感に駆られるのか、何度も「いえ!お礼なんていいです!本当当然のことをしたまでですから!」とかなんとかふざけたことを言っていた。
何度でも言うけど、変態なのは紀一なのにね。

車で家に帰る時に母さんは僕にしきりに聞いてきた。
「五嶋さんに渡すお礼は何がいいかしら?」「果物とかかしら?」「お菓子がいいかしら?」
結局根負けした紀一は母さんにお礼を送られるために住所を書いた紙を渡していたのだ。
僕はそれに適当に答えながら、一つだけ母さんに聞いた。
「ねぇ、お礼の品決めたら僕が直接渡しにいってもいい?」
「あぁ、その方がいいわね。直接お礼を言ってきなさい。」
「うん。」
車の窓から外を見ながら、僕は自然と笑みを作っていた。
明日学校に行ったら僕にボディガードがいるって噂になってたらどうしようとか笑いながら考える。
咄嗟の一言だったけど、ボディガードは無いだろって今は思える。
どちらかっていうと紀一の方が僕を危険に晒している気がする。アイツは変態だから、いつか僕をえじきにするのだろう。
母さんのイチゴにしようかしら、という言葉を聞きながら僕は目を閉じる。
なんだか今日は一段と疲れていたようだ。いつのまにか眠っていた。


夢の中で僕はイチゴを持って紀一のアパートまで遊びに行っていた。
「そうだ、この間のお礼あげるよ。」
紀一の不思議そうな顔に僕はプレゼントをあげていた。
イチゴの入った箱の他にもう一つ。


初めて僕からしてあげるキスというプレゼント。



イチゴよりもよっぽどアイツは喜んでいた。





おわり





変態が変態を退治するお話。
written by Chiri(12/5/2007)