百万回殺された悪魔
百万回殺された悪魔(6)



ラピは耳を疑った。

つまりこれらの人間を自分が殺された分だけ殺し返せ、と言っているのだ。
それで機嫌を治せと?

狂っている。
ワゼルも、この国の王も。

ラピは連れられてきた人間たちに目を向けた。
ズラッと並んでいる人間の全てが瞳の奥を濁らせている。
貴族の上等な服を着せられているが、手や足には擦り傷がたくさんあった。そして焼けた肌。
…あれが位の高いもののわけがない。

「僕にあのひとたちを殺せ、というの?」
「それで怒りを静めていただけるならば。」
「僕と同じように虐げられてきた人たちを僕の手で殺せ、と!?」

ワゼルがギョッとした顔をあげた。
顔中に汗が浮かんでいる。

「ラピ様、何を勘違いしてらっしゃるか分かりませんが、あのものたちは貴族でございます!」
「違う、あのひとたちは奴隷でしょ?それくらい分かるよ。」

奴隷たちを見ても、殺したいなんて感情は一切湧いてこない。
それよりも自分と同じようにつらい思いをしているという同情心の方がよっぽどである。

ワゼルはあわあわと慌てだし、いきなり頭を床につけた。
「ラピ様、お許しを!」
その様子が憎憎しかった。

「思い出した。」

不意に、頭の中が鮮明になった。
そうだ、ワゼルの顔には見覚えがあった。

ワゼルがそろりと顔を上げる。ラピの存在に慄いている。
そうだ、その顔があの時はひどく嬉しそうに笑っていた。

「お前、僕を殺したことあるだろう?」
「ヒッ!!」

肯定するようにワゼルが短い悲鳴をあげた。
そうだ、ワゼルはあの儀式に参加したことがあった。もう何人の人間に殺されたか分からないあの儀式。その中にワゼルの顔は確かにあった。
そもそも金持ちそうな人間だと思ったのだ。まさかこの地の領主だとは。

「ラピ様、お許しを!!」
「うるさい!!」

殺していいというならば今すぐワゼルを殺したかった。
けれど、自分の何かがそれを止めにかかる。
悪魔の血があるというならば、言わば人間の血だろうか?
それがワゼルを殺してはいけないと囁きかける。

それでも憎悪は燃え上がる。自分の意志とは関係なく。
ガタガタと震えるワゼルは突然一人の奴隷に命令した。

「おい、お前!こっちに来い!!」

呼ばれた奴隷はまだ若い男だった。それでも17,8歳で、ラピよりは一つか二つ大きく見えた。背も高く、さらりとした青い髪は魅力的だった。

奴隷は近くの騎士に縄を解かれると、命令された通りワゼルの元へ向かった。
男がすぐ傍まで行くと、ワゼルは盾にするように男をラピの前に突き出した。

「私など殺しても何も楽しくはありませぬぞ!この男は見目も麗しいし、きっと美しい声で悲鳴をあげます!!こいつを代わりに殺してください!お願いします!」

言われた男は憎憎しい様子でワゼルを見つめていたが、小さく呟いた。
「お前、サイテーだな。」
けれど肝心の男はそれほどラピを恐れてはいない様子だった。
それどころか物怖じせずにラピのことをまじまじと見つめてくる。

一方、ラピは一層憎悪の炎を燃え上がらせた。

自分の罪を奴隷にかぶせるなんて。

そして同時にどうしようもなく悲しくなった。
自分は人間に何を求めていたのだろうか。
こんなひどいことしかできない人間に。
自尊心と不信と裏切りと…。何一つ綺麗なものなんて無かった。
それなのに、求めていたものがあった。

ラピは心から叫んだ。

「…いらない!誰の命も僕は欲しくなんか無い!!殺したくなんか無い!!」
「ラピ様、では私をお許しに…!?」
「知らない!お前なんか知らない!どっか消えろよ、バカアホマヌケ!!」

ボロボロと涙が出てきた。
人間を信じたかった。
あんなひどいことをされてきて、何度も殺されそうになって、実際に殺されて、それでも人間を信じていたかった。
自分の一番欲しいもの、それを与えてくれるのは人間しかいないと思っていたからだ。
けれど流石にもう何も信じられなかった。

何度も裏切られ。
何度も醜い部分を晒され。
それでも期待しつづける自分が馬鹿みたいだった。

体の奥で何かがはじける。憎しみが力に変わっていく心地。
地面が揺れた。
「みんな、逃げて…。」
ラピが小さく呟いた。
抑制が効かなくなる前にやらなきゃ。
ちゃんとやらなきゃ。
「みんな、逃げてーーーーー!!」

ブチブチブチッ!!

いっせいに奴隷たちを繋ぐ縄が切れた。
奴隷たちがドワッと騒ぐ。
「縄がとけたぞ!?」
「逃げろ!」
「はやく!!」
騎士がいるにしても、相手は300人もの奴隷だ。奴隷たちはこの手あの手で暴れながら騎士たちから逃れていく。
そして森の中に散ってしまえば、もう見つけることは難しい。
「こら!お前ら、逃げるな!!」
「待て、お前らはラピ様の!!」
騎士やワゼルが叫び声をあげながらそれを阻止するが、それも完全にはできるはずがない。

ラピはそのまま地面に崩れ落ちた。
人間は逃がした。それでいいんだ。それで。
けれど欲しいものがまたするりと掌から抜け落ちていく。

「うぅ…ぅ、ううーー……。」

このまま、悲しみで死んでしまえればいいのに。

ふと何か温かいものが頬を触れた。
見上げてみると、さっきの青髪の男がラピの涙を拭っていた。

「お前!ラピ様に何する!」
後ろではワゼルがこれ以上ラピを怒らせまいとぎゃーぎゃー騒いでいた。
ラピもよくわからない様子で男の瞳を見つめる。

「な、何でまだいるの?」

他の奴隷たちと一緒に逃げたかと思った。

男は不意にラピを抱き寄せた。
ふわりと香料が薫る。着替えさせられたときに何かつけられたのだろうか?

「な、何で?」

ラピはもう一度同じ事を繰り返した。
男はぽんぽんとラピの背中の羽の下部を優しく撫でた。

「俺、同じ奴隷だからお前の欲しいもの分かるよ。」

ラピが目をぱちくりとさせる。
男が優しく微笑んだ。今までで見たことのないような微笑だった。

「ただ誰かに愛して欲しいんだよな。それだけだよな。」

そう言って、男はまたぽんぽんと背中を撫でた。

世界がひっくり返ったかと思った。
涙がまた溢れる。さっきとは全く違う涙だった。

嘘だよね?これ、何かの夢だよね?

だって誰かに抱きしめられたことなんて無い。
こんな優しい口調で話しかけられたことも無い。

でも期待したら、…また裏切られるんだよね。

「あの、…や、やめてください。」

そう言って弱弱しく男の体を押した。
男は怒ることもなく、にこりと笑った。

「俺、アルフレドって言うんだ。どうせ行き場が無いし、逃げたって捕まえられる。それくらいなら俺のこともらってよ。」
「え?」

意味が分からない。

「この屋敷に置いてっていってるんだけど…。」
「この屋敷に?」

(何で…)

この男、アルフレドにとって何も嬉しいことがあるわけでもないのに。

ラピが戸惑っていると、アルフレドは口を開いた。


「お前が百万回殺されたと言うなら、俺が百万回お前を愛してやるから。」


ラピは信じられない表情でアルフレドを見た。

言い当てられた、と思った。


欲しいものはそれだった。
タオスもパントンもラピを殺した人間たち全てがちゃんと持っていた。けれどラピにはそれが無かった。
魔王が、罪と罰の神様が来たとき。
あの人はラピが欲しがっているものが分かっていると言った。

けれど実際のところ、何も分かってなど居なかった。

ラピは力など求めていなかったのに。

ずっと求めていたのは、誰かに傍にいてもらうこと。
叩かれないで、罵られないで、優しくしてもらうこと。
誰かに好きになってもらうこと。
それだけだった。

「…本当に一緒にいてくれるの?」

ラピはかすれた声のまま問い返した。

「うん、こっちがそうしてって言っているんだ。」

アルフレドはすとんと首を縦に振った。

「叩かない?」
「当たり前だろ。」
「怖いことしない?」
「しないって。」
「痛いこと、しない?」
「するわけがない。」
「じゃ、ぼ、僕のこと、好きになってくれるの?」

アルフレドはラピの右手を取った。
そしてそれを口に持っていき、優しいキスをおとした。

「放っておけねーよ。」

それは好きと言う言葉では無かったけど、ラピには十分だった。
アルフレドがにこりと笑ったので、ラピも笑い返した。

それだけでもう答えは出ていた。

「ラ、ラピ様!」
ワゼルが突然を声を上げた。
ゼェゼェと肩で息をして、左手には奴隷の少女を首元で掴んでいた。

「生贄が半分逃げてしまいましたが、必ずまた捕まえてまいりますので、少々お待ちを!!」
「いらない。」
「はっ?」

ワゼルが目を瞠った。

「いらない。僕、この人一人でいい。」

そう言って、アルフレドを指差す。
ワゼルは一瞬凍りついたが、次第に頬を上気させて、歓喜した。
「そうですか!それなら話がはやい!他の奴隷はすぐに下がらせます!」
(もう自分で奴隷って言っているよ、この人…。)
そうつっこみたかったが、ラピは何も言わなかった。
ラピはワゼルを睨みつけたまま、続けた。
「他の奴隷は逃がしてやって。」
「はい?」
「じゃないと、駄目だから。」
そうきつい口調で言うと、ワゼルは「了解しました!」と慌てて頭を下げた。

「用事はすんだよね。もう、帰って。」

ラピがそう言うと、ワゼルは慌てて逃げ出した。それを騎士たちが一緒に追う。
奴隷たちもそれにまぎれ、森の中に散っていった。

そして、屋敷の前にアルフレドとラピだけが残った。

「はぁ、助かった〜。」

不意にアルフレドがほぉっと肩をなでおろした。
それを不思議そうに見ていると、アルフレドが横で笑った。
さっきよりも随分と楽な表情をしていた。
「悪魔がこんなにお人よしだなんて知らなかった。」
ラピは不安に駆られて、アルフレドに問い掛ける。
「もしかして今までのは、その場を逃れるだけの嘘だったの?」

(やっぱり期待した、僕がバカだった?)

ラピが自信のなさそうな視線をアルフレドに向けると、アルフレドはラピの髪の毛をくしゃくしゃにした。

「ばーか。俺はあいつらと違って嘘なんかつかねーよ。」

口調がさっきよりもくだけている、というかくだけすぎだ。
ラピが尚も疑わしげな顔を向けるから、アルフレドはラピの額にでこピンをした。
「いたっ!!何するの!?」
「お前みたいな綺麗で可愛いお人よしの悪魔を俺が逃がすと思うかよ?」
「綺麗で可愛いって何?それに逃がすって?そっちが逃げようとしているんじゃないの?」
「自分で分かってないのか…。」
仕方ない奴だな、とアルフレドが呟く。
「まぁ、俺はラッキーな人間だったってことだよ。」
アルフレドがそう言い切るが、ラピには意味が分からなかった。
ラピは尚も額がジンジンと痛くて、そこを撫で付けていた。
「さっき痛いことしない、って約束したのに…。」
「それは痛いことじゃねーよ。愛情の裏返しだ。」
「そうなの?そっか、それならいいや。」
「って素直すぎ!」
アルフレドがおかしそうに笑った。よく分からないけれどラピも笑っておいた。

アルフレドの笑う顔を見ながら、ラピは静かに心の中で思った。

(これが最後。最後だからもう一度人間を信じよう。)

アルフレドがいつラピを裏切るかなんて分からなかった。
大体、ラピの屋敷に残ると言う方がおかしい。逃げようと思えば逃げられたのだから。
それでもアルフレドがこうやってラピをあたたかい気持ちにしてくれるのは確かだった。後にアルフレドがいなくなっても、このときのことを思い出そう。それだけでいいじゃないか。

いつのまにか空はいつか見たように血のような赤い色に染まっていた。
それでもそれを美しいと思えるようになったのは、心に変化があったからだろうか。

(大丈夫。僕、まだ生きてける。)

隣でアルフレドが「もう屋敷に入ろうぜ」と誘う。既にこの家の住人気分らしい。それを見て、ラピは少しだけ笑みを浮かべた。
そして真っ赤に染まった夕日を背にすると、二人は静かに屋敷の中へと消えた。





おわり



満を持して、最後に攻め登場ですよ。おそっ。どんだけー。
written by Chiri(7/5/2007)